ざわわ……
選挙などで政治家の発言を聞く機会があると、ざわっとした感触が走る言い回しがあります。「お示しを、する」:「示す」は「しめ」という語幹に「す」という活用語尾が、示さ(ない)、示そ(う)、示し(ます)、示し(た)、示す(言い切り)、示す(とき)、示せ(ば)、示せ、とつく、サ行五段活用の動詞です。動詞の連用形に接頭語の「お」をつけた敬語表現として「お示しする」であるべきでしょう。「示し」を体言として使うのは、「示しがつかない」のような限定された場合だけです。「お話をする」「お話しする」から、こういう誤用が生まれてしまったのでしょうが、前者は、子供などに「お・ハナシ」=名詞+「する」tell a storyで、後者は例としては「私がお話しします」=「お+連用形」で「私が話します」より丁寧、I would like to speak(またはaddress), if I mayみたいな感じ、意味の違いがあります。
ちょっとした発言の中に政治家がこの誤用「お+体言+をする」の言い回しを多用するのを聞くと、仙人として怒らない生活を心がけている私もかなりイラっときます。「お訴えをする」とか「お出しをする」とかね。
ほぼ市民権を得てしまった「ら・ヌキ言葉」つまり可能を表す助動詞「れる・られる」の誤用も、いまだに神経に障る感じを覚え、首都高の入り口に「○○方面には行かれません」と書いてあるのを見るのがすごく嫌です。しかし、すんなり受け入れてしまう誤用もあって、好きなのが、電車のホームで、駆け込み乗車はおやめください、ドア、「閉まってます!」というアナウンスです。本来、閉まりつつあります、閉まる最中です、というべきでしょうが、「進行形な感じ」と緊迫感が、状況とぴったり合っている気がします。
結局好き嫌いなんでしょうか。言い回しまちがいは、本来方言だったことも多いので、出身地によって気に障るものが異なるらしく、あなたには関西人特有の言い回しまちがいがわからないだけ、と言われたこともあります。京都の子は、形容詞を強調するとき、同じ言葉を繰り返すと指摘されたのはすごく納得しました(さむい、さむい=とてもさむい)。今住んでいる千葉では、普通に会う、出会うことをみなさん「いきあう」と言われます。方言としてみると、ちょっとかわいいと思っています。