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英語教育、なすべきかなさぬべきか、それが問題だ

パンの笛

通訳・翻訳者リレーブログ

 ケアンズより戻り、この投稿文を執筆している本日より再び本格稼動体制に戻りました! 旅行に行けば日常がまるで夢のように、そして日常に戻れば旅行はまるで遠い昔のことのように感じられるものです。人間の感覚って不思議ですね。それでも、しっかりリフレッシュされたのは間違いありません。また次に旅行に行ける日まで、あの美しい海や熱帯雨林を思い出しながら頑張ろう!とふつふつとエネルギーが湧いてくる気がします。
 ところで、今回何よりも考えさせられたのが、「息子への英語教育」。これまで何回か息子を海外旅行に連れて行ってはいましたが、それでも2年前にハワイに行った当時息子はまだ4歳。いまひとつ、「外国語を話す」というのはどういうことなのかがピンと来る年齢ではありませんでした。英語を話している私の姿を見ても、大人の会話の一環として、わからない言語のひとかたまりに入れられていたように思います。ですが、今回息子はもう小学校一年生。当たり前のことですが、親の話している言葉が日本語のムズカシイ話なのか、理解できない外国語であるのかの区別はつくようになりました。そして、私が現地の人々と英語で話すと、先方は息子も当然しゃべれるものと認識して、ぶわーっと英語で息子にも話しかけてしまいます。あぁ、でも当の息子は「???」とちんぷんかんぷん。そのぽかーんとした表情を見て初めて、先方は「あ、英語をしゃべれるのはお母さんだけだったんだ」と悟ることになるわけです。それでも、子供は順応性が高いので、旅行の最後の頃には”Hello!”, “I’m 6 years old”, “Bye, see you!”などと簡単な挨拶は交わせるようになってはいました。でも、これで私の悩みは一気に深くなりました…。
 息子が生まれた当初は、「絶対に小さい頃から英語と日本語両方で話しかけて、ぺらぺらにしてみせる!」といきまいていた私でしたが、壁は思ったよりも厚かったのです。両方をちゃんぽんで話す私に、むしろどちらも理解できなくなる息子。今考えれば家では英語、外では日本語、といったように状況を明確に分ければ混乱も少なかったのかもしれませんが、それはもう後の祭り。そうして時折ちゃんぽんで話しかけたり、一部のビデオ(大好きなトーマスなど)は英語のものを見せたりしていた3歳頃のある日、「ママ、もう英語はやめて!!」と大拒絶をされてしまったのでした。そこで初めて私もはっとしました。確かに、言語を覚える一番の源となる親が一貫した言語表現をしていない、というのは、この子にとって理解できなくて辛かったに違いない、と。そして考え直しました。言語というのは、表現したい何かがあって、それを伝えるための表面部分の伝達手段。自分が生きている文化が、家でも外でも日本どっぷりである息子に、伝えたい心の出来上がる前に小手先の言語だけを複数教えようとしても、本人の身につくはずもない。外国に居住しているわけでもない息子の場合は、むしろ日本人としての感情や、系統だった言語能力がある程度完成したところで、「外国人としての英語」が上手に話せる人になるよう、私がサポートをしよう、と。そう考えて息子の拒絶事件以来、息子には英語はまったく教えていませんでした。そう考えていた矢先のこの子供の順応性の高さ。これには二度目のショックを覚えました。もしかして、そろそろ英語を本格的に教えてもきちんと受容できる能力が備わってきているのかもしれない…。そう思わずにはいられませんでした。私が毎日あたふたと日々を過ごしている間にも、息子は着実に成長していたのです。私が考えていた、「系統だった言語能力がある程度完成」という段階は、思ったよりもずっと早く息子に訪れていたようです。今なら、まだ発音もネイティブなみになれる年齢。息子の日本人としてのアイデンティティと文化的背景を壊すことなく、第二の言語能力としての英語力を身につける手助けをしてやれるべく、英語を学ぶ機会を提供したいと思うようになりました。
(写真はお腹のポケットに赤ちゃんのいるワラビー)

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記事を書いた人

パンの笛

幼少時に英国に滞在。数年の会社勤めを経て、出産後の仕事復帰を機に翻訳を本格的に学習。現在はフリーランスの在宅翻訳者。お酒好きで人好き、おしゃべり好きの一児の母。

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