人となりは一日にしては変わらず…!
私を昔から知る人に、「今は翻訳の仕事をしています」と伝えると、驚かれることが多い。何せ、人と話して交流したり、何かを外に向かってアピールしたり、という側面が非常に強く、じっと机に座ってコツコツと努力する、というイメージとは程遠いタイプだったのだ。物事を理解するにも、「沈思黙考」とは正反対。あぁでもない、こうでもない、と人に向かって話しているうちに勝手に理解してすっきりするタイプだった。実はそれは今も変わらない。学生時代、「将来たとえ通訳になることはあっても、翻訳者になることだけは考えられない」と本気で信じていた。それが今ではかなりのめりこんで翻訳漬けの日々を送っている。人生ってわからない。でも、それは翻訳そのものが楽しくて、完成した訳文を見るときに感じる満足感や、調べ物をするときのワクワク感が楽しくてどうにか成り立っているのであって、翻訳者に求められる、「地道に、着実に、一歩一歩」という素質に関しては、かなり努力でカバーしている部分が多い。こんなことわざわざ公開する必要もないかもしれないが、本当はとってもズボラなのだ。明日やれることは今日しない。お尻に火がつくまでは手をつけない。そして、やるとなったら全神経、全集中力をフル稼働させて一気呵成で仕上げる!というのが私の基本的なスタイル。でも、さすがに翻訳をするときにはそうはいかない。特に在宅で仕事をするようになってからは、「思ったより時間かかっちゃってまだ終わりません」などという言い訳は一切通用しないわけだから、万が一間に合わなかったら、などと考えると怖くて、ガラにもなく計画的な人になってしまう。そこで、自分の性分に合わないのを承知で、歯軋りをしながら(私にしては)かなり緻密な計画を練って事前準備から実際の翻訳まで取り組んでいる。逆にその計画とは相容れないハプニングがあったりすると、少々パニックになってしまうほど。でも、やっぱり人格はそうそう一朝一夕には変わるはずもなく、ときどき計画を立てて淡々とこなすこの生活に嫌気が差して、つい「えーーい!もう今日は仕事は忘れて飲んでやる〜!!」となってしまうことも…。まぁ、それは余談でしたが。
でもその反面、こういう地道な職業に就いて初めて発見した自分の性格もある。それは、異常なまでの活字好きだということ。これは、翻訳者に限らず通訳者も含めて言葉を使う職業に就いている人に顕著な傾向かもしれないが、とにかくヒマさえあれば字が見たい。新聞でも、雑誌でも、本でも、ウェブサイトでも、チラシでも、通販のカタログでもいいから、文章を追って、頭で処理する、という行動をコンスタントに求めてしまう。そして、見た文字を片っ端から頭の中で翻訳して、文章を作り上げ、時にはその続きを自分で「作文」して「作品」を作り上げてしまったりもする。こういうの、通翻訳仲間の皆さんも、きっとありますよ…ね? こういう行動はいくら続けていても疲れないところを見ると、自分の元からの性格にあった素質なんだろうなぁ、と素直に思える。計画を立てる生活も、このくらい意識せずにこなしていけたら、もっと楽なのに。人の性格って、長い期間努力を重ねるうちに変わるのかしら…?? 今のところ、まだ根本的に変わる兆しはないのですが。どなたかベテランの方、教えてください!!
(先日飲んだワインのラベルにはゲンゴロウ(?)の絵が。納品した後の一杯がもたらす至福の瞬間は格別!)