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それは同じか別物か

パンの笛

通訳・翻訳者リレーブログ

 ご多分にもれず「のだめカンタービレ」にハマっています。でも、私の場合は原作の漫画の方。ドラマ化されて話題になっていたので気軽に手にとってみたところ、すっかりのだめワールドにハマってしまったのです。普段はなかなかドラマを継続して見る時間も確保できないこともあって、ドラマの方は見ていなかったのですが、あまりに漫画が面白かったのでここ何回かはドラマも見ています。しかし…あのドラマもとても良くできているとは思うし、何よりも音楽がテーマである作品だけに実際の音楽を聴けるというのは魅力的なのですが…どうも私の抱いているイメージとキャラクターや、状況設定が若干ずれているのです。こういう場面に遭遇してしまうと、なんだか自分の中の「のだめワールド」が汚されたような気さえしてきてしまって、ちょっと損をしたような気分になってしまいます。
 中学生の頃だったか、源氏物語の漫画が流行ったことがありました。さっそく読もうと息巻いていた私に向かって父は、「いきなり漫画ではなく、まずは原典を読みなさい。源氏物語は原典は難しいのであれば、口語訳したものを先に読んで、自分のイメージを作り上げてから漫画を読むようにしなさい。」と言ったのでした。当時はちょっと面倒だなと思ったりもしましたが、文章で読んだ源氏物語の世界は、そのイメージに奥行きがあって非常に面白く感じたものでした。そしてその後に漫画を読んでみると、確かに私のイメージとは違う印象の場面も多々あったのです。主だった部分はもちろん同じなのですが、細部が微妙に違うのです。読んでいてつい、「ちがーーう!」と怒りを感じることも…。そして、文章と絵、絵と映像、という違いはあっても、今回の「のだめ」にしても、同じことなんだなぁ、とふと思い出したわけです。これは翻訳をする際にも通じる話でもあります。英語の文章を日本語にする際には(もちろんその逆でも)、なるべく原文に忠実な訳文になるよう心がけていても、無意識に自分の目線というものが必ず入ってしまっています。そうすると、その自分の目線を介した、自分の理解と解釈に基づく訳文にどうしてもなってしまうのです。根幹は同じでも、枝葉末節が訳者である私のワールドに染まってしまうのです。実務翻訳の場合には、用途によってはむしろ枝葉末節を受け手に応じて変える必要がある場合もあります。例えば、レターの翻訳を頼まれた場合などは、受け手の文化や習慣に合わせて、ただ文章を訳するのではなく、相手にとって自然なレターになるよう補足をするのです。ある意味、出来上がった翻訳文は原文とは「別物」なのです。でも、例えば文芸作品のような「作者ワールド」が最も重要である場合には相手のための補足はもってのほかで、訳者のワールド=「別物」であってはならないのです。原作者の世界をどれだけ正確に、感性豊かに読み取れるか。それには、原文をとにかく繰り返し読む!というのが鉄則だと思います。読んで読んで、もう暗記しちゃった!というくらい読めば、そのうちに原作者のワールドが乗り移ってくるのです。枝葉末節も、文章に書いていない登場人物の性格の裏側までもが文章の端々から感じ取れるようになってくるのです。よく言われる、”read between the lines”というヤツです。何も足さない、何も引かない、それでありながら日本語の美しさを損なうことなく「作者ワールド」を表現できる訳文を目指して、日々、原文を読んで読んで読みまくっています。翻訳をした後に、「やっぱり原文が一番よね」と言われない翻訳者を目指して…。

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記事を書いた人

パンの笛

幼少時に英国に滞在。数年の会社勤めを経て、出産後の仕事復帰を機に翻訳を本格的に学習。現在はフリーランスの在宅翻訳者。お酒好きで人好き、おしゃべり好きの一児の母。

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