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判断力とは経験の賜物か

パンの笛

通訳・翻訳者リレーブログ

 非常に個人的な話ですが、今年は自治会の役員をやっています。引っ越してまだ2年ですが、どうやら我が家のある地域は役員の周期が既に2巡目らしく、新参者にもお鉢が回ってきました。気楽に引き受けてはみたものの、自治会に出席してみると周囲は軽く2巡目であろうと思われる重鎮方ばかり。はっきり言って私はお歴々のお子さんより年下、ということになるらしいのです。(決して私が超!若い、というワケでもありません)最初はそんな周囲の様子を見て取って、これは若輩者としてはおとなしくしているしかない、面倒な細かい仕事を引き受けるつもりで貢献しよう、と考えていたのですが、人間そう性格が変われるものでもないらしいのです。あっという間に本来の性格を発揮するようになってしまって、会議では普段とまったく同様、思いつく傍から発言をするようになってしまいました。まぁ、それ自体はむしろ活発な意見交換が行われるから良いと思うのですが、もうそろそろ年度も終わりが近づいてきて、メンバーの性格なども把握できるようなり、落ち着いて周囲を分析できるようになってみると、一つ気づくことがありました。それは、次々と発言する私の意見よりも、たまにしか口を開かない重鎮の方の意見の方が何倍も説得力がある、ということ。今年度の役員のお仲間には青少年指導員やら、行政相談員やらを経験している方もいらして、なかなかに地域の情勢に通じておられるのです。会議の場の限られたメンバーの意見しか見えない私にひきかえ、その方は会議を超えて、地域全体を俯瞰して発言なさるわけです。そうすると、会議のメンバーも思いつかなかったような最も効果のある解決策を提案してくださったり、必ずしもメンバーの多数決に頼らずに最適な判断をなさったりすることも多いわけです。こうして書いてみると当たり前に聞こえることですが、実際の会議の場で反対多数だった意見を、「絶対に正しい」と判断して主張することはとても勇気がいりますし、判断力が必要とされます。そして、私などはたくさん発言をしてみたもののその結論を導き出せなかったことが、とても悔しい上に恥ずかしく思われるわけです。やはりこの判断力の差というのは、持って生まれたものもあるとしても、何よりも経験がものを言っているのでしょう。地域全体にあまり通じていない私と、これまでの豊富な経験から地域を熟知している方とでは、判断のベースに大きな違いがあるのは、むしろ当たり前のことかもしれません。「年の功」とも言えるでしょう。自治会の役員は、こうして複数のメンバーにより検討がおこわなれて最終的な結論が導き出されるから良いのですが、これが仕事となると…と少し怖くなりました。経験の浅い内容の仕事を、まるで小手先でいじくりまわすように、あーでもない、こーでもないと言葉尻を変えてみたところで、真に心に響く文章は完成しないのです。その内容の本質を知り、全体を俯瞰し、目の前の原文のみに囚われない豊かな表現の源から用語を選び、配列を推敲することで、初めて生きた文章が書けるのです。自治会に関しては、次に役員が回ってくる頃にもう少し地域を俯瞰できるようになることを目標にすることとして、当面は文章表現の経験を磨くように心がけたいものです。まだまだ仕事も若輩者です。反省しきりの週末でした。

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記事を書いた人

パンの笛

幼少時に英国に滞在。数年の会社勤めを経て、出産後の仕事復帰を機に翻訳を本格的に学習。現在はフリーランスの在宅翻訳者。お酒好きで人好き、おしゃべり好きの一児の母。

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