それはいつも突然やってくる
ここのところ、依頼を請ける内容が多岐に渡っていて、変化があって面白い!と自分では思っていたのですが、自分で意識している以上に切り替えに時間がかかっていたようでした。大抵どんな翻訳でも(原稿が長くても短くても)、一箇所か二箇所、どのように訳すべきかすごく悩む箇所があるものです。私の場合、そういう箇所はすぐには正式な訳は入力せず、いろんな候補を列挙してハイライトでもしておいて、一旦その部分を離れて訳を進めて、最後にもう一回戻ってくる、という手法を採っています。そうすれば、文書の全体像を一旦見た後であることや、気持ちを切り替えた後であるために、最初は思いつかなかったような訳がふと思い浮かんだりして、さっき悩んだのはなんだったんだろう、と思うくらい悩まないで訳が思いつくことも少なくありません。でもその反面、いくら最後に戻ってきても、いくら気持ちを切り替えたつもりでも、良い訳が思いつかないときも残念ながらあります。そういうときは、納期ぎりぎりまでうんうん悩みます。そして、最後はせめて今まで思いついた中で一番良さそうな案を書いて出すわけです。その時点ではそれ以上思いつかないのですから、私としては一応ベストを尽くした、と考えて、大抵はその後は悩んだ箇所のことは忘れてしまうのですが…。最近の私の困った傾向は、大分以前のそういう悩んだ箇所が、かなり後になってから急に思い浮かんでしまうこと。しかも、「結局ちゃんとした訳を書いて出したんだったかしら?」とものすごい焦燥感と共に原文や、悩んだときの訳の候補がよみがえってきてしまうのです。しかも性質の悪いことに、すぐに提出した文面を確認できないような、外出先などで、本当に何の前触れもなく思い出してしまうのです。そうなると、もう目の前のことはすっかり気もそぞろになってしまいます。とにかく早く帰って、ちゃんとした訳を書いて出したかどうか確認しないことには、落ち着いて会話することもできなくなってしまいます。さすがに、それで本当に悩んだ部分をブランクにして出してしまったりしたことは(わかっている範囲では)ありませんが、そうやって悩んだ箇所が如何に頭にこびりついて離れていないのか、良くわかるなぁ、と毎回苦笑してしまいます。こういう体験を何度も繰り返すと、実は自分の意識の上では考えていなくても、意識の水面下で自分の経験を何度も繰り返し味わっていて、次のケースに備えよう備えよう、と勝手に脳が機能しているのかしら、と思ってしまったりもします。まぁ、それならまだ良いのですが、今日はなぜか、どうしても先日見たお笑い芸人の歌が頭から離れなくて困りました・・・コンピュータのマニュアルを訳しながらも、頭の中のBGMは芸人の歌・・・意識すればするほど、歌ばかりがクローズアップされてしまって、ほとほと困りました。これなら、まだ翻訳文が思い出される方がずっとマシです!