日本人に生まれて良かった
先週末には、近所で花火大会がありました。隅田川レベルとまではいきませんが、郊外地域で開催される花火大会としては十分見ごたえのある規模のものです。これは毎年恒例の行事で、家族全員とても楽しみにしているものです。空に次々と上がる花火の美しさと、お腹に響く音のコンビネーションがなんとも言えず心地良く感じられます。それにしても、花火大会を見るとき、そしてお花見をするときには、本当に日本人に生まれて良かった、と心の底から思います。思い返せばまだ若かった学生の頃、なまじ小さい頃に海外に住んでいたばかりに、昔住んでいたその国を漠然としか覚えていないのに、都合の良いことにいいイメージばかりが残って、彼の国に対する憧れがむやみに膨らんでしまった時期がありました。当時は自分の住んでいる日本という国がその分なんだかつまらない国に思えて仕様がなかったものです。何かと言うと比較しては、「あーあ、あの国ならこうなのに、何で日本はこうなんだろう」などと文句をたれてばかりいました。でも、成長するにつれて、再度彼の国を現実に見る機会にも何度も恵まれ、実際に見てみたら彼の国にも良い点ばかりではなく悪い点もあって、それは日本と同じなんだ、ということがわかってきたのでした。子供の観点から見た場合と、それなりに年齢を重ねてから見た場合とでも、見えるものは違っていたのかもしれません。今思えば当たり前のことですが、当時の私は自分の目でそれを確かめて実感しなくては、憧れの中の夢の国と、現実の国の現状を区別することはできなかったように思います。今でも彼の国は私にとって大切な第二の故郷ではありますし、良いところもたくさんある国だとは思いますが、以前のように諸手を挙げて日本より彼の国が優れている、などと言うつもりはもう、ありません。むしろ、彼の国の尺度で見てしまったら嫌な点が目に付いていた日本も、実は日本にしかない良さがたくさんある国だ、とようやく、私なりにも実感できるようになったのです。毎年の花火大会は、私の「愛国心」を再認識させてくれる絶好の機会です。そして、愛する二つの国と、二つの文化をつなぐ架け橋として、微力ながらも自分が貢献していると感じることはこの上なく嬉しいものです。お互いの文化を背負って立つ文章を書くからには、その文化に恥じない内容にしなくては、と身の引き締まる思いです。