氷山の一角
最近、ロシア語同時通訳者の故・米原万理さんの本を何冊か立て続けに読みました。最初は「同じ業界の人が書いた本」という感覚で気楽に手に取ったものの、その内容の濃さと、作者の持つ世界観の多様さ、そしてその表現の豊かさにすっかり魅了されてしまいました。文章の端々から、おそらく米原さんが非常に優秀な同時通訳者であったであろうことがひしひしと伝わってきます。彼女の文章を読んでいると、現場でたった一つの言葉を「訳語」として発するまでには、自分自身の表現力を日々磨き上げ、豊富に蓄え、さらには即座に反応できるように自分を鍛えていたことがよくわかります。そして、つくづく、通訳をする際に口から出てくる言葉は、その通訳をする人物の持つ知識や表現力、さらには人間性という大きな氷山のほんの一角、本当にごく一部の表れなのだ、と実感します。彼女は自著において再三翻訳は通訳とは別モノ、と書いていますが、この点に関してはおそらく翻訳も同じでしょう。私自身も取り組む題材によっては、どうしても「入り込む」ことができなくて、なんだかうわべだけをキレイにまとめ上げたような文章になってしまうことが時々あります。そのときはどうしてだろう、と自分でも疑問に感じるのですが、とりあえずは最善を尽くしたということで納品していました。ですが、今振り返ってみればそれは私の持つ知識や表現力、さらには人間性が、その文章を根本まで掘り下げて体得して、その上で咀嚼して訳文に反映するだけのレベルにまで至っていなかったのだということがわかります。もちろん、米原さんは同時通訳者の中でも稀有の才能を持った人物であったことは間違いないとは思います。ですから、いますぐにでも私が彼女と同じレベルに到達しようと思ってもできるものではないとは思いますが、私も少しでも彼女の姿勢と理念を学んで、自分の人間性を発揮して豊かな表現を文章に醸し出せるような翻訳者になりたい、と強く思いました。そのためには、知識を増やすための勉強や、表現力を磨くための読書も重要ですが、人生を楽しむということも大事だと感じます。自分の人生を楽しんでいない人に、豊かな表現はできないはず。原文を書いた人物の心の機微に共感を抱いて、それを自分の言葉として言い換える術を持つには、自分の人生も豊かである必要があります。そのためにも、感性豊かに日々を楽しんで、自分という一人の人間の肥やしにして、今まで以上に豊かな表現のできる人物になりたいと思います。道のりは長い気もしますが、とてもやり甲斐のある課題だと考えています。これはおそらく、私の翻訳者人生の最も基本となる課題となりそうです。