ものの値段について思う
お正月にチェンマイに行った際に、ソープ・カーヴィング(石鹸彫刻)の置物を買いました。これは石鹸を彫ってお花の形にしたものを、塗りや、真鍮の飾り板を貼¥¥¥¥り付けた球形の入れ物に入れたもので、そのモチーフとなるお花はタイ特有の蘭に限らず、カーネーション、バラ、蓮、などなど、種類も色も豊富です。今まで何回かタイを訪れていますが、ソープ・カーヴィングを見たのは今回が初めてでした。チェン
マイではこれがいたるところで売られていて、ナイト・バザールでも、ちょっとした露店でも、デパートでも、たくさん色とりどりのソープ・カーヴィングを目にすることができます。見ていると、販売している目の前で実際に彫っているお店も結構¥¥¥¥¥¥¥¥あります。驚いたことに、本当にただの白い四角い石鹸を見る見るうちに彫り上げていて、最後には色をつけて完成となるのです。さらには、その彫ったお花の入っている入れ物の塗りもとても繊細で綺麗です。タイは野菜や果物の彫り物も盛んな国ですから、こういう文化が根付きやすいのかもしれません。とは言え、日本は世界の中では手先が器用といわれる国なのに、そんな日本から来ている私が見ても、この彫刻技術は素晴らしい! なのになのに、実は…このソープ・カーヴィング、とっても…リーズナブルなんです。いえ、有体に言えば、とっても安い。もちろん全体的な物価の問題もありますが、それにしてもこの技術、この美しさを以ってしてもこの値段とは。これを見たときに、とっても考え込んでしまいました。私が翻訳をお請けする際には、当然、一定のレートを設けています。それ以外にも、エージェント経由の場合には、エージェントそれぞれが私のレートを定めています。そのレートは、それぞれの環境下においては適正だと思っていますが、このソ¥¥¥¥ープ・カーヴィングを目にしてから、果たして「適正な価格」とは何だろうと考えるようになってしまいました。もちろん、理論上は需要と供給のバランスがあって、そこに加えて相場感が働くわけですが…。でも例えば、このソープ・カーヴィングを東京で目にしたら、私はこんな安い値段で買うなどとは、夢にも考えません。むしろ、こういった飾り物は高くつくと考えるのが一般的です。タイで売られている値段の5倍は払ってもいい、と思います。でも、彼の国では私が考える「適正な価格」の1/5で売られている。もちろん、売る場所の地代や、その環境を整えるために費やされるお金も商品には盛り込まれているわけですから、一概に5倍にすべき、と言うつもりはありません。ですが、世の中には卓越した技術があっても、決して恵まれている生活を送れるとは限らない人々が多くいるのだな、と改めて実感してしまいました。
その点、翻訳者は…少なくとも「この技術でこの値段はあんまりだ」と考えたことはあまりありません。むしろ、技術で得る報酬としては、一定レベルを確保されている恵まれた環境と言えるでしょう。そうなのであれば、せめて、その払っていただいている金額に正しく見合うだけの価値を提供できなくては、と改めて考え直してしまいました。
(写真は、我が家に置いているソープ・カーヴィング2種類です。)