言い方一つで…
近視と診断されたのが小学校5年生のとき。その当時は眼鏡が何だか格好いいような気がして、授業中だけは眼鏡をかけては得意になったりしていた。それからウン十ウン年の歳月が過ぎて、私の視力は今や右目0.08、左目0.12。はっきり言って、ドがつく近眼だ。何せ、右目はあの視力検査の輪(ランドルト環、と言ったはず)の一番上でさえ見えない。そういったわけで、コンタクトレンズを愛用している。そうしたら最近になって、友人でレーシックを受けたという人が。レーシックはいわゆる視力矯正手術で、以前からあったのは知っていたけれども、友人いわく、昔に比べると随分費用も安くなり、手術にかかる時間も短縮されて、日帰りで大丈夫なのだとか! 一生涯のコンタクトレンズの金額を考えれば、レーシックの方がはるかに安価だし、何よりも老眼の時期までは裸眼でいられるのがいい。起きたらクリアな視界、というのはもう随分長いこと見ていない憧れの世界だ。そこで、まずは事前検査を申し込んだ。どうやら事前検査を済ませて、レーシックに適合する目だとわかると手術ができるらしい。でも、人気の高い手術なので、検査を申し込む時点で手術の予約もしておいた方がいいと言う。そこでホイホイ予約をしたのが、少し前。でも、実際に検査・手術の日程が近づいてきたら、案の定仕事が詰まってきた。どの程度その日程を守るか悩んだけれども、まぁ、手術の日程はまだ変更も可能かしら、と思って手術の予約を延期してもらうことにした。その電話をかけた際のこと。
「延期なさるのはかまいませんが、手術前一週間はコンタクトレンズは禁止なのはおわかりですよね?」
「はい、大丈夫です。」
「術後一週間はアイメイクも、激しい運動もだめですが、大丈夫ですよね?」
「はい。」
「飲酒もだめですが、おわかりですよね?」
「…はい。」
会話をしていて、段々頭の中に疑問符が浮かんできた。確かに、確認することは大事だし、延期の電話を受けるというのは面倒なのかもしれない。でも、その言い方はあんまりだ。「こういったことが規制されますが、ご了解ですか?」くらいの聞き方にしてくれれば、こちらも気持ちよく対応できるものを、後から後から「そういえばアレも本当に平気なの?」という口調では、まるで馬鹿にされているような気がしてしまう。翻って、私も普段から顔を合わせたことのないコーディネーターさんやクライアントさまと頻繁に電話やメールでやり取りをする。そうなると、顔が見えないからこそ、ちょっとした声音や言葉遣いがとても大切なのは、考えなくてもわかる。電話のこちら側で手で無理に口角を上げるくらいのことをしながら電話をするのが当たり前だと思っているし、メールでも最大限、簡潔かつ礼儀を踏まえた表現をするのが、仕事をする人間の常識だと考えている。世間もそういうものかと思っていたけれど、必ずしもそうでもないのかしら。あるいは、人によってその度合いや内容がそれぞれ違う、ということなのか。まぁ、結局私もその応対が悪いから手術をやめる、ということはない。特にこういうオペなどは評判のいいところを知り合いに紹介してもらって、というのが一番安全だから、そうやすやすと別のところに乗り換える気にも、まぁ、なれない。というわけで、私はやはりそこに行きたいと思う。でも、翻訳の依頼はどうだろう…。態度が悪くてもあの人に頼もう、とまで言われるには、相当の実力が必要だろう。その境地に至るには、私はまだあと何十年分の努力が必要そうだ。であれば、せめて口角を上げて電話口で話して、礼儀正しいメールを書くほうがずっと簡単、というものであろう(もちろんそれでもいただけない仕事もあるけれど)。人の振り見てわが振り直せ。少なくとも、他人の感覚で見た場合にそういう目で見られる可能性があるのを忘れないように心がけよう、とつくづく思わせる出来事だった。