日本語を読む
最近になってヘルシンキもようやく暖かくなり、日中15度前後まで気温が上がる日も出てきました。遅ればせながら「春眠暁を覚えず」状態で、何だかデスクワークが遅々として進まない気がする今日この頃です・・・
さて、筆者は今年の始めから、国のお役所に勤めるフィンランド人J氏にプライベートで日本語を教えています。日本語を教えてほしいという申し出は時々あり、フィンランド移住前は別の国の大学で授業を持っていたこともあるのでノウハウもゼロではないのですが、もともと日本語教育を専門としているわけではありませんし本業も忙しいので、基本的にはお断りするようにしていました。今回の場合は、ある研修でJ氏の奥さんと出会ったのがことの始まり。奥さんによれば、巷のあらゆる日本語コースに通いつくしてしまい、日本語はよくできるのだけれど、初心者コースでは(できすぎて)もう先生に煙たがられてしまうし、大学にも行ったが個人教授を頼むのは敷居が高いし、自分に合ったコースが見つからない・・・というのでした。
「アナタ、ウチの夫の先生にいいんじゃないかしら?!」とほぼ一方的に認定していただき、粘りに粘られた末に連絡先を渡したところ、本人からも電話がかかってきました。希望は文献講読で、それ以外は特に必要ないということでした。当方としてはあくまで本業を優先させていただくこと、スケジュール次第で必ずしも毎週できるとは限らないこと・・・などを条件に、結局了承することに。講読だけではトータルな日本語力はつかないかもしれませんが、仕事で使うわけでもないということでしたので、本人の興味の赴くままに勉強をしてもらうことになりました。
申告では日本語はよくできるということでしたが、どのくらいのレベルを言っているのかがわからなかったため、最初のセッションでは平易かつ大人でも退屈しない読み物を・・・ということで、ブルーノ・ムナーリの著作を、須賀敦子さんの翻訳と、同じ内容を小学生向けにまとめたテキストの両方を持って行きました。
実際にJ氏に会ってみて驚きました。ムナーリのテキストがすらすら読めたのはもちろんのこと、何と彼は「日本の社会保障」なる岩波新書を持参してきていました。日本語専攻なり、研究しているというなら話は別でしょうが、単なる趣味で岩波新書を携えた外国人には金輪際会ったことがありませんでした。あらゆる講座に通ったとは聞いていましたが、学習暦はいったいどれくらいなのでしょうか(そう言えばいまだに聞いていないです・・・笑)。
その上、社会保障制度が整っているとされるフィンランドで、日本の社会保障をレビューすることになるというのもまた皮肉な話です。フィンランドの制度を日本に紹介することは非常に有意義だと思いますが、その逆はいったいどうなのか?3月はちょうど日本で子ども手当の施行を急いでいるところでしたので、某紙のウェブサイトから関連するコラムを持っていきました。仕事の関係からか、J氏は日本で子ども手当が導入されることをテキストを読む前からすでに知っていましたが、新聞記事の構文の複雑さもさることながら「日本の社会保障」の実情や背景、法案成立と参院選の関係、はては夫婦の家事分担や仕事と家庭のバランスといった家族のあり方、仕事か子育てかの二者択一を迫られがちな女性の状況などがフィンランドと違いすぎ、あらゆる意味で理解に苦しんでいたようです。そして何より、国は違えどひとかどの国家公務員である方に、日本のメディアのネガティブな論調を紹介することはあまり意味のないことだったかもしれません。
現在は、J氏が最近日本を旅行した際に入手してきた岩波ジュニア新書の「漢字のはなし」(阿辻哲次著)から、戦後の国語国字問題にわかりやすく触れた部分を読んでいます。漢字は世界で現存する数少ない表意文字の一つであり、外国人の日本語学習者の興味を最もかきたてる分野でもありますが、当の日本では、戦後漢字の全廃が企図されていた・・・という話に少なからずショックを受けた様子のJ氏。その後の常用漢字表の制定や技術の発達(漢字もキーボード上で扱えるようになったこと)により、その危機は回避されたと考えられていますが・・・。
こんな調子で、決して浅くない比較文化的考察を交えつつ、おそらく教えている側の筆者よりも数段優れた頭脳を持つJ氏と日本語を読んでいます。日本の外から見る日本の歴史・社会・文化は在留邦人にとっても興味深く、自分自身のルーツを客観的に省みる機会にもなっていると思います。