ナポリ湾台風
先週は名古屋でフランス語をしゃべっていたのですが。
今週はヨーロッパを南下して気温が10度ほど上がった気分。
「ナポリを見て死ね」という諺はいかにもこの南イタリアの旧都にあこがれを誘うけれど、私にとってナポリは、もはや喜劇と悪夢と仁義のミックス。ここ数年、州政府観光局の日本関係の仕事を引き受けているからです。
例によって詳しく書けないのが残念ですが、彼らとの仕事はまず一筋縄ではいかない。
小学生時代のキャラを成人してもそのまま温存できる環境で生活している彼らをみていると、我々日本人が、社会教育の名のもとに知らずしらずのうちにどれほど個性を殺されてしまっているのかがよ〜くわかる。なんといっても個人個人のペースというを絶対に譲らず、他人と折り合わず、なのに人とつるんでなければいられず、と、いうことは仕事効率はあくまで悪く、先の見通しは一切たたず。しかもまずみんなおしゃべりときているので、数人でなにか決定を下さなければならない時の議論の騒がしさったらない。
今回、数名の観光局員が東京での業界イベントに参加するためにやってきた。イベントの準備段階から開催中のブースのケア、はては、今回初めてこのイベントを視察にやって来た「お偉いさん」数名のアテンドまで、目の回るような一週間。お偉いさんチームは大使館、領事館、協力団体事務局などへの挨拶回りに忙しく、毎年来ている下っ端チームは展示ブースで配るパンフレットがイタリアから届かないだのなんだのと、私の目から見ればあまりにもレベルの低い段取りミスにこぞっててんてこ舞いをしている。で、結局すべて仕切っているのがなぜかいつも、いつのまにか、この私。
なんでひとつの体でこの仕事が務まったのかいまだに自分でもわかりませんが、とにかく、お偉いさんチーム相手には敬語敬称で標準イタリア語をしゃべり、したっぱ相手の時はもはや身についてしまったナポリ弁アクセントで命令法ばっかり。自分が「優秀な」通訳だとは、何年仕事してても思えないけど、どうも「ある特殊な能力」があることだけには、だんだん自信がついてきました。
しかし、アングロサクソン的な几帳面さやアメリカ式のビジネス効率主義的観点から見れば、このナポリ人気質はあまりにも時代遅れ。でも私は、彼らの一見単純に見えてじつは百戦錬磨の複雑な状況判断能力と、雑草のような、というよりはまさに珍種の植物のような生命力に、会うたびに強い敬意を感じる。ミラノやトリノなどの北イタリアの人たちには、この「南の人間」は駆逐するに等しいぐらい嫌悪されていたりもするのですが、その嫌悪の裏には、自分たちは逆立ちしたって獲得できない、愛すべき狡猾さへの羨望があるにちがいない、と私は感じています。では、どう愛らしく狡猾なのか、うまく描写してみろ、と言われても、とてもとても私ごときの筆力では無理。
それよりも、彼らの裏をかく狡猾さで、通訳料を巻き上げなければならないのです。おかげで、こっちはこっちで、毎年たくましくなってゆくわけ。
さて、来週は英語でのインタビューの仕事からスタートします。脳のチャンネルの切り替えをしませんとね。ナポリ湾台風、上陸と通過の一週間でした。