ああ年賀状
11月もすでに後半。
商店街のあっちこっちで、テレビのコマーシャルで「年賀状をつくるなら○○で!」という広告が目につく。デジカメがもののみごとに普及したからでしょう、写真年賀状をプロに頼んで作りましょう、という広告、自分で作るためのプリンタや小道具の宣伝・・・
外国人に言わせると、日本のよいことベスト2は、名刺交換の習慣と、年賀状の習慣。ま、年賀状にあたるものとしては、キリスト教の国にはクリスマスカードの交換があるんじゃない。でもあれは、親族や友人が主体で、仕事関係者どうしではなかなかやらないのかな。
と、いうことで、互いの近況報告、現住所確認という意味では、日本の「年賀状」は、世界から「お見事!」的評価を受けている。
でもね、プレッシャー、はっきりいって、私には。
私は、自分で言うのもなんだけど、筆まめです。すごく。
なにせ、36色の封筒を常備し、やはり36色の色ペンを使ってあて名書きにも凝るんだから、常識外れとも凝り性とも言えます。封筒にあて名を書くのがたのしくってたまらない、という、奇癖の持ち主でもあるの。へんな目で見られそうだから今日まで黙ってたけど。
なのになんで年賀状がプレッシャーなのか。
理由はかんたん。短期間におおぜいに書かなきゃいけないから。
やっぱりね、賀状っていうのはね、ひとりひとりの受け手のことを考えて、じっくり書くものでしょ。どうも、おんなじ写真を印刷した葉書に、あて名までパソコンのアドレスブックからラベルに印刷して、ただはりつけて、という、ベルトコンベヤ式の通信というのは、私は好きになれない。もらうのはいいんだけども、自分があれをやる気にはどうしてもなれない。
・・・というわけで、ひとりひとりに「そういえば、あのときのあの話は、どうなりましたか?」みたいな調子でいちいち書いてると、とてもじゃないけど元旦に間に合わない。でも、「年賀状だ!」というプレッシャーが伴わないと、ふだんなかなか通信する機会がない(けど、大切な)知り合いもいる。
人間、何度も言うけど矛盾のかたまり。
かくして、年々増え続けるいとおしい友人たち、関係知己の顔触れを脳裏に描きつつ、延々とバレンタインデーぐらいまで「遅い年賀状ごめんなさ〜い」と言い訳しつつ筆を握るはめになる。
さて私からのお年賀状がとどくかもしれないアナタ、いったいいつごろ届くか、そして、表書きのペンのインクの色は何色か、乞うご期待。