ほとんど拷問
なんだか大げさなタイトルをつけてしまいました。
仕事漬けで拷問の日々、とかいうほど、かっこいいものではありません、おかげさまで、怒濤のワーキングデイズはこのところ、ひと段落。
じゃあ、なにが拷問なのよ。
あのですね、「ある仕事」が拷問なの。それは「インタビューテープ起こし」。
私はときどき、某劇場からの依頼で、海外在住のアーティスト(オペラ歌手とか、指揮者とか)に電話インタビューというのをやります。前にもなにか、そのこと、ここに書いたような記憶があるな。
で、それは、電話機につないで直接会話が録音できる機材を使って、あとでその収録テープの内容を原稿に起こす、というところまで任されるのです。たとえば歌手とアポを取って、電話し、原稿に起こすまで、2週間から最大1ヶ月ぐらいの時間をもらえるので、時間的にはぜんぜんきつくない。電話で歌手と話している時は、けっこう楽しかったりもする。電話の向うで家族が雑談する音声が聞こえてきたりすることもあって、「知られざる素顔」に迫ってる感じ、うほうほ。なんですが、終わってから一息入れて、さあ、文字に起こすか! という気持ちに・・・なれない。なぜか、なれない。いつまでたっても。そして、刻一刻と締切りが近づく・・・ああ、今日も一本、明後日までに納めなければならないのをかかえているというのに、まだ起きない、「やる気」が!
旧ソビエトのピアノの巨匠、スヴィアトスラフ・リヒテル翁も、ドキュメンタリー・フィルムで「自分は、かなりリサイタルの日が近づかないと、練習する気になれない」とおっしゃっていたけれど、それはリヒテル翁だから許されるんであって、私ごときがそんな呑気なこと言っていては、食っていけない。
手をつける気になれない理由は明白。録音された自分のしゃべりをあとから聞くのが、すんごくヤなの。もうね、私ってね、醜悪この上ない言語をしゃべってるわけ。
相手が外国人だから、当然私はその人に合わせて外国語をしゃべっている。思えば、私の通訳が「いい」と言ってくれるクライアントもいないわけではないけど、そういう人たちが耳にするのは、ほとんどの場合、訳された日本語。つまり「ガットパルドさんの日本語は聞きやすい」という評価。で、マイク持ちで外国語と日本語の両方をしゃべる時も、外国語部分はあえてマイクを通さず、外人の耳元でささやく程度で処理することが多い。案外、会話というのは、書かれた文章と違って、多少文法がめちゃくちゃだったり、語彙が適切でなかったりしても通じてしまうもの。それに甘んじて、自分がまあ、なんとしっちゃかめっちゃかな英語、フランス語、イタリア語をしゃべっていることか! こういう機会に思い知らされるのであります。
毎日自分で顔洗ってマッサージしててもね、エステに行ってプロに手入れしてもらうとがぜん若返るのと一緒よ。たまには、学生時代の文例集に立ち戻って「きれいで正確なしゃべり」の復習もし、スタンダールの小説でもまた辞書引きながら読んでみよう。
ああ、もう、自分がやだわ。やだやだやだ。
そしてリヒテル翁も、ドキュメンタリーの最終章で、それは、亡くなる前年に収録されたものだったけど、言っていましたっけ:
「80代になって、いま思うこと?・・・自分が気に入らない。」
人生、先は長し。