今日はちょっとマジメな話
ひさしぶりに、ちょっと、通訳らしいことを書こうと思います。
一念発起して、今年は勉強するぞ、な〜んて、ほんとはただ家で寝ながら咳が鎮まるのを待つのもいいかげん退屈なので、たまには、という程度の気持ちで、イタリア語の新聞の記事を読んでみた。流し読みではなく、ちゃんと一語一語、辞書を引きながら。
positivamente(ポジティヴァメンテ)という言葉にぶつかり、「ふんふん『前向きに』って意味の副詞だな。」と思ったんだけど念のため辞書を引く。
そしたらなんと、原形となる形容詞 positivo(ポジティーヴォ)の第1義には「確かな事実に基づく・現実の」とあった。これにはドキッとした。
すでにカタカナ英語であまりにも頻繁に使われている「ポジティブ」=「前向き」。あまり深く考えたこともなく、たんに「明るい見通しを持つ姿勢のこと」ぐらいに思っていた。が、このイタリア語の辞書の言うことを信じるならば、そこには「現実的な確かな理由」が存在していなければ、ポジティブな現象として分類するべきではない、ということになる。
ちなみにフランス語では positif 第1義:「確実な」、第2義:「現実的な」となり、英語では第1義「明白な」。日本語での意味に最も近い「肯定的な・建設的な」は、第6・7義にやっと登場する。
ええい、ちくしょう、とばかり、ラテン語の辞書を見てみる。つづりがもっとも近い positum には「ある事に基づく、〜を基礎とする」とある。
どうも、ラテン語を経て各国語に変化する過程でいくつかの意味を含みもつようになった言葉のひとつのようだが、そして、それでもやはり、英語が日本語にいちばん近いわけだが、ふと自身への反省もこめて思う:我々日本人は存外感情的・情緒的な人種である、と。
ポジティブが「前向き」と訳される所以は、もともとは「前向きに考えてしかるべき現実的、場合によっては科学的な根拠があるから」なのである。
つまり「お金がない、お金がない、って言ったって、先月は時給800円で50時間バイトしたんだから、とにかく4万円は入ってくるわけじゃん、ポジティブになりなよ。」というのは正しい表現。
が、「お金がない、お金がないって言っても、ま、なんとかなるよ。ポジティブに考えなよ。」というのは、論理がむちゃくちゃだ、ということだ。
どうも、こういうことを考え出すとドツボにはまる。
要は、辞書から学ぶことは非常に多い、ということをあらためて発見いたしました。
発熱に苦しめられ、連夜の咳にのたうち回ったけど、どうにか、怪我の功名かな。