なにを書こうか・・・
書きたいことがないわけではなくて。
なんだか、あいかわらず頭がまとまりません。
このブログに書き込みをする時、内容を決めるにあたって、まず頭をからっぽにして、ぼ〜〜〜っと・・・今週はなにがあったかな、どうなるかな、とか考えて、浮かんだことをあまり考えずに文字にしてしまう、というのがやり方。一応、サイトの目的を考えて、通訳や翻訳の仕事になるべく近い話題を選ぶようにはしてるけど。
今週は、目をつぶってみると、脳裏に浮かぶのは桜の並木です。
六本木のサントリーホールの裏手、ホテルオークラとの間の、あのあたり。
距離は短いけど、瀟洒な感じの小路に桜が満開。しかも、夜はライトアップされて、まるでおとぎ話の絵のよう。
だからなんなの?ってところで、しかし、話題がストップしてしまう。
たまたまここ2週間ほど、この近辺で仕事だったので、つぼみから満開になる桜の枝枝を日々ながめながら通勤。ラッキーでした。しかし、仕事がハードなのと、ようするに花は花、わたしは団子のほうが好きなので、ここから先に進まない。
お花見って、日本独自の習慣なのかな? と、ふと思う。
外国人だって、もちろん、野に咲く花を愛でる、という情緒はあるだろうし、花咲く公園で日がな一日、という時間の過ごし方だってあるだろう。でも、公園の敷地に陣取りをして、ビニールシートの上に仲間が集い、一年に一度、今日ここぞとばかり歌い踊る、なんていうのは、日本だけなんじゃないかなあ。私はアジアの国とか、南米、アフリカはさっぱりわからないんだけど、どうでしょうか、「各国お花見事情」ご存知の方いますか?
べつにお花見反対論者でもなければ、興味がないわけでもない。
ただ、おとぎ話のような演出を施された桜の並木に、「美しい」という感慨はもちながらも、じゃあそれをわが物のように慈しむことができるかというと、なぜか心のどこかがふっと花から遠くなり、じゃあ、しらけたまま通り過ぎようかと思っても、何かが許されないような気がして、歩調を落としたりする自分がいる。
どうも、日本で「桜の季節」というと、かすかに、かすかにではあるけれど、それをアプリシエートしなければいけないような、なにか、強制的な意識統一の圧力を感じてしまうんだな、神経質だけど。
・・・と、いうわけで、申し訳ないんだけども私は桜より梅のほうが好き。
もっと贅沢を言うならば、折り紙でキッチリ作れそうな律義な形状の花に、秘めたる潔さを思わせる強い香りの沈丁花のほうがさらに好き。
春の花くらべ、王者にばかり軍配を上げるのもつまらないじゃあないの。足もとの名も無い雑草も、花を咲かせる季節。見逃さず、あなどらず。
そして私自身は、この春に、どんな香りの花を咲かせましょうぞ。