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パリのおはなし

ガットパルド(gattopardo)

通訳・翻訳者リレーブログ

このブログを読んでいる人たちのなかには、パリになんかとくに興味がない人だっているんだよなあ・・・と思いつつも、このあと数週はこのトピックスでいきます、興味のないみなさん、すみませんが、おゆるしを。
シャルル・ド・ゴール空港に降り立つたびに感じるのは、パリには、強烈に「パリの匂い」がある、ということだ。ムカシムカ〜シの「望郷」というフランス映画で、ジャン・ギャバン演じる主人公が、一目ぼれしたパリ出身の美女を賛えるセリフで「メトロの匂いがする」というのがあるけれど、あのきもち、なんとなくわかる。その正体はつまるところ、日々の生活の営みの中にしみ込んでいる雑多な匂いのミックス、けして高尚なものではないのに、同時に手が届きそうで届かないものの象徴のような、体の芯を刺激するような、そんな複雑な匂いである。
ヨーロッパの都会には、かならずその町だけの匂いがある。ロンドンにはロンドンの、ローマにはローマの、そこにしかない匂いが。じつは東京にもそれはちゃんとあり、旅から帰って成田空港に降りると、すでにそこは東京の匂いに満ちている。これはこれで、なつかしいというか、なじみがある匂いというか、ある種の感興を一瞬そそられるけど、ヨーロッパの町々のそれに比べると、悲しいかな、妙に色気にとぼしい。
町は五感で楽しむものだ、と、パリにいると実感する。
まず、匂い。そして、音。大通りを行き交う車の騒音はけして耳に心地いいものとは言えないが、石畳の上をタイヤが転がるあの不思議にアルカイックな響きは、東京ではどうしたって味わえない。パリにいるのだ・・・という気分がこんな折りにさらに強まる。町のどこにいたって、まず聞こえてくるのはフランス語。「発音フェチ」の私には、現地人のフランス語で朝から晩まで音声を聞いていられるのは、まずもって喜びである。もちろん、地方出身者の奇妙な発音、アメリカ人観光客が無理してしゃべるカタコトのフランス語の、けったいな発音がそこに混じることだってある。一興かな。
カフェの騒音。日本の喫茶店にくらべ、圧倒的にテーブルとテーブルの間の空間がせまく、人口密度が高いので、アンド、軽い食事をする客達は当然のことながらみなナイフ・フォークを使うので、それらが強烈にガチャガチャいう音が、どの店でも自然にBGMだ。その背景の音を真っ二つに切り裂くように、ときおり、ギャルソンの「いま行きます、お待ちを!!」という叫び声が響く。
味覚。パリでしか味わえないもの、まず、カフェのコーヒー。美味しいものも、美味しくないものもある。わたし個人は、フランスのコーヒーよりイタリアのコーヒーのほうがずっと美味しい、と思う。でも、パリにはパリの・・・石灰分の多いまず〜い水で入れた、あのエスプレッソの味が似合うのだ。パンの味。防腐剤の入っていない、朝市で買うチーズの味。ワンカップ大関みたいなノリの、プラスチックのミニボトルに入ってスーパーのレジの近くで売ってる、白ワインの味。ふつうのジュースの倍の値段のする、オレンジといちごを混ぜたフレッシュジュースの味。豚肉を煮込んでペースト状にしてある、リエットの味。どこで飲んでも絶対においしかったことのない、紅茶の味・・・。
目で見る喜びはむしろ、最後の最後でいい。
体の他の器官が感じ取る悦びにくらべ、視覚的な喜びは、あまりに通俗的だ。あるいは、視覚的な刺激は、そこに香りや音声が伴ったとき、その価値を何倍も豊かに発揮するものなのかも知れない。
それらがすべて細かく何本もの鎖のようにつながって、ひとつの町の美として迫ってくる。煩悩渦巻く街路から逃れようと、街角の小さな教会の門をくぐって中に入っても、その空気は外部から遮断されているようでいて、やはり小窓から差し込む光に外の香りの断片を反射させている。ステンドグラスまでもが、聖俗を融合させるフィルターの役割をする。
散歩に疲れた脚をしばし休めようと、広場の噴水のわきに日陰をみつけて腰掛ける。カメラを体のわきに置く。手に伝わるのは、東京にはない、ざらざらとした石の台座の感触だ。何十年前から、いや、何百年前から、この石はここにあるのだろう、と思う。
手のひらまでも感覚を研ぎ澄ます、旅の瞬間です。

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ガットパルド(gattopardo)

伊・仏・英語通翻訳、ナレーション、講師など、幅広い分野において活動中のパワフルウーマン。著書も多数。毎年バカンスはヨーロッパで!

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