パリのおはなし その2
今日は、本屋のことを書こうと思います。
なにをかくそう、私は、東京ではめったに本屋には行かない。
言葉が商売道具なのに、本はあまり読まない。活字中毒でもない。・・・いや、「あまり読まない」というのは正しくない。日本語、外国語を問わず、いつもなにかしら読んではいるのだが、ただでさえ遅読、しかも、外国語の本を読むときは辞書片手なので、さらにスピードが遅くなる。つまり、一冊を読みきるのにおそろしく時間がかかる人間で、したがって、めったに書店に行かなくても、継続して読む本は足りている、ということなのだ。
もうひとつ、私は、基本的に日本の本屋はきらいである。
日本の、本の出版事情そのものに疑問を抱いている。本がありすぎる。一冊の本が、実用書であれなんであれ、ある厳選された良質の情報のまとまりだとすれば、レベルの高いもの、長い期間生活や勉強の役に立つものは、そうそう簡単には出版できないはずなのだ。かりに書き手が溢れていたとしても、それならばなおのこと、競争に勝ち残ったすぐれた書き手のものを出版すべきであって、そうではなくただ単に書き手の数に比例して書数が増えるというのであれば、これは業界としてレベルが高いとは言い難い。
しかも、古今東西の名作と誰もが認めるすぐれた文学作品などが、販売数が伸びないという理由だけで安易に絶版になってしまう。落胆のきわみである。
前置きが長くなったが、ヨーロッパの本屋は、日本よりずっと楽しい。まあ、若者の活字離れは、おそらく世界的な現象だろうし、こちらは旅行者だから、楽観的に外国の本屋で興奮していられるだけの話かもしれないが。
パリにも、東京のようなマンモス書店もあることはあるが、まだまだ小規模・中規模店舗が主流で、店の個性が明確なところがいい。カルティエ・ラタンでは、ソルボンヌ大学のそれぞれの学部の建物の近くに、当然のことながらそれぞれの専門書を扱う店があり、ふらりと立ち寄って背表紙をみるだけでも十分おもしろい。
今回は、語学書専門店でラテン語の辞書を買ってみた。図解が豊富で、ぱらぱらとめくっているだけで古い古いヨーロッパ文化の精髄が体に自然にしみ込んでくるような気分になって、妙にうれしい。
しかし、この語学書の店では、東京よろしく「ビジネス英語」に関する本だけでワンフロアがぎっしりで、これには少々辟易した。
もうひとつ、バスティーユ・オペラの近く、ボーマルシェ通りにある楽器店で、オペラの楽譜も買ってみた。イタリアオペラの譜面で、出版元もイタリアだから、ミラノに行って買ったほうが安いかも、と思ったが、とりあえず急ぎ必要なものだったので、即購入。ピアノから金管・木管楽器、エレキギターにシンセサイザー、なんでもござれの大店舗である。その2階フロアのかたすみに、乱雑な並べ方で分厚いオペラのスコアが置かれている。一見、珍重されていないかのように見えるが、どれを見ても汚れの少ないきれいな状態の本で、しかも「あれ?××××は置いてないの?」というような間抜けな欠品はなかったので、つねにひととおりのものが回転している、ということなんだろう。
フランスらしい・・・と感じたのは、なみいるイタリアオペラの譜面は、一作品に一冊ずつ、きちんと品ぞろえはしてあった。が、メリメ原作・ビゼー作曲の「カルメン」の譜面だけは、いくつかの演奏バージョンがあるものがすべて揃い、棚の一角を占領して、誇らしげに色とりどり、数種類の背表紙がこちらを向いて並んでいたことだ。どれか一冊「カルメン」も買って帰ろうかと思ったが、差し当たり必要ないし、連日の買い物でスーツケースの制限重量がそろそろ気になりはじめていたので、やめた。
インターネットで世界中の本やCDを購入できる時代になったが、直接店に入って、ふと目に留まった背表紙の本を書棚から引っ張り出し、黄色くなったページをめくりながら「あんた、いつから売れ残ってるのよ?」などと、こっそり本に言葉をかける。時間にゆとりのある、旅行中ならではの楽しみだ。
そして数日後帰国してから、不在中に受信していたメールのチェック。
以前、発音指導をしたことがあるソプラノ歌手の友人から久しぶりの連絡が入っていた:「ガットちゃん、帰ってきたかしら? じつはあなたの留守中に、来年の舞台の話がひとつ決まりました、なんと『カルメン』で、フラスキータの役がもらえたんです! また、発音指導、お願いできる? よろしく!」
・・・ああ、楽譜、現地価格で買ってくればよかった・・・!
それとも「旅のあいだは仕事をわすれて、のびのびと!」のポリシーをついに撤回し、パソコン持ち歩け、ってことなのかもね。
こういう後悔は、どの旅のあとにも必ず起こるものだけど、それすらも、あの楽器店の書棚の薄暗い一角を私の脳裏によみがえらせ、一瞬のよろこびを与えてくれるものなのです。
次週はなにを思い出しましょうか・・・。