いかに集中力を維持するか
在宅翻訳者に限らず、家で一人で仕事をしている人は誰でも、いかに気を散らさずに仕事に集中するか、悩んでいる人が多いと思います。わたしもそうです。
もちろん、納期が迫っていたり、内容に興味があったりする場合は、自然と周りをシャットアウトできます。この点、人間の特技ですよね。仕事開始と同時に音楽を聞き始め、信じられないほど集中して、ふと気がつくと、アルバムを1枚聞き終わっていた、いや、アルバムを1枚まるまる無視していた、なんてこともあります。
でも、当然ながらいつもそうではありません。納期に余裕があってダラダラしてしまうケースはあまりありませんけれども、興味が持てないとか、いつもと代わり映えしない内容の原文に集中することは、至難の業・・とまでは言いませんが、ときに気が散りがちになることも確か。あるいは、逆に難し過ぎて意味不明の原文の場合、「は〜」とため息をつきつつ外に目をそらし、うっかりトンビでも飛んでいようものなら、しばらく眺めてしまったり。
言うまでもなく、インターネットも諸刃の剣。これがなければ、もはや翻訳の仕事は不可能ですけれども、SNS等をやっていなくとも、興味深いサイトは多いし、キーボードの上でほんのちょっと手をひらひらさせるだけで、ネコちゃんのオバカな映像を見られたりしちゃうこの時代、ほんとうらめしいです。
そして音。
実はいま住んでいる家の周辺は、田んぼがたくさんあるわけでもないのに、なぜか水路が多く、晴れていても雨の日も、いつも水がさらさら流れています。見かけは完全に側溝(どぶ)なのですが、流れる水は、どしゃぶりにでもならない限り、完全な透明。家庭菜園をやっている人は、その水を野菜にやったり、そこで野菜を洗ったりしています。近くに高い山があるわけでもなく、実に不思議なので、いつか「源流を訪ねる旅」をやってみようと思っています。
そのきれいな側溝、わたしの部屋の横にちょうどカーブがあるので、いつもちゃぱちゃぱと水音がします。いまや滝の音や波の音が「癒し音」になるご時世で、わたしも様々な水の音だけが録音されたCDを持っていますが、ここに引っ越してきてから、いつでも自然の水音を聞けるようになりました(笑)。
水の音は聞いていて心地よいですし、それほど快適な音でなくとも、「連続音」は案外気になりません。地下鉄でどんな轟音が鳴っていようと、ぐうぐう寝られるのはそのせいでしょう。しかしそこで何か突発音でもすれば、はっと気がついて辺りを見回してしまうのは、生き物として当然の反応です。
そう考えてみると、周りで突発音がしても、それを無視して集中し続けるなんて、人間にしかできないことなんですね。動物なら、自分に危険が迫っているかもしれないのに、絶対に無視なんてできませんから。つまりそんな姿は本来、生物として不自然である・・すなわち仕事中に突発音がしても無視し続けるのは体に悪いと・・フムフム。
いや、言い訳を考えるためにこの文章を書いているのではないのであった。
さて、われわれ翻訳者の集中力を削ぐ音は、家の周りに氾濫しています。わたしの仕事部屋(1階)の場合ですと、すぐ横に狭い道路がありますので、そこを行き来する人の声がもっとも思考の邪魔になります。
話の内容がすべて分かってしまう場合はもちろん、分かりそ〜で分からない場合、(主に奥様方の)高笑いが頻繁に含まれる場合、親の怒鳴り声、抵抗する子どもの叫び声、小学生の調子っぱずれの歌。
わたしの仕事部屋の真ん前の十字路で、「ここ!ここゴールね!!」と言って、坂の上から絶叫しながら全速力で駆け降りてくる子どもたち。いや、あっちをゴールにした方がいいと思うよ。
これらがずーーっと同じ音量で流れていれば、逆に、まだましだと思うんです。慣れてしまうでしょうし、いずれ無視できるかも。いやできないか。
ともかく、窓のすぐ外で突然大きな音や声がしようものなら、頭の中の訳文タワーにぴきぴきっと亀裂。動いてはダメだと分かっていながら、つい外を見てしまいます。そうなったら、もういけません。まるでトランプで作ったタワーのようにもろい訳文タワーは、あっさり崩壊。・・・という微妙な作業をいつもいつもしているわけではありませんが、思考の妨げになることは確か。
特に一階というロケーションも良くないのでしょうが、とりあえず引っ越したばかりだし、当面はこの部屋で働くしかありません。
じゃあどうするか。という点について書こうと思ったのですが、ここまででも十分長くなってしまいましたので、来月にしたいと思いま〜す。