アンタ、翻訳の何たるかが分かってるのかい?
こんにちは。先回は怪し過ぎる自己紹介になってしまったので、今回は翻訳に関係ある話に絞ってお話ししようかなと思います。
いま「しぼって」を変換したら、第一候補として「私募って」が出てきました。先日、債券発行の「公募」「私募」に関する翻訳をしていたせいです。というわけで、わたしの専門分野は金融・ビジネス。言語は英→日と西→日です。(それにしても、所有者に似てオバカな変換ですこと)
寄り道や急カーブ、瞬間移動(?)の多い翻訳人生を歩む方の多いこの業界ですが、わたしの経歴は、気が散りまくりのこの性格からは考えられない「純粋培養」パターンです。留学経験もなく、オンサイトで翻訳したこともなく、のちに専門分野にする金融関係の企業に勤めたこともありません。しかしずうずうしくも、翻訳の仕事をすることだけは早々に決めていました。最初、視野に入れていたのはスペイン語のみです。
大学卒業後は一時期、会社員をしていましたが、当初からその会社に居続けるつもりはなく、いつか翻訳の仕事をするつもりで、スペイン語の通信講座を細々と続けていました。特に地方の一学習者にとって、翻訳業界に関する情報といえば、雑誌『翻訳の世界』しかなかったころのことです(1990年代前半)。
翻訳の世界、なつかしいですよね。同誌では、まれにスペイン語の誌上翻訳コンテストもありましたので、わたしも分野を構わず応募して、「もしかして1位になったらどうしよう!!!」なんて、いまから考えれば失笑ものの妄想をしたこともありました。翻訳業、甘く見ていました。ハイ。で、翻訳の何たるかなんぞまったく分かっていないヒヨッコが、上位に食い込めるはずもなく、ことごとく撃沈しました。
ともあれ、そんなヒヨッコでも、やる気だけはあるわけでして、通信講座以外でもなるべく原文に触れようと、いろいろと探し回りました。しかしここで、スペイン語という「特殊言語」の壁が立ちはだかります(できれば使いたくない言葉ですが、昔は頻繁に目にしました。言語に特殊も平凡もあるかい!と何度つっこんだことか)。当時はインターネットもまだなくて、英語でさえ生の原文に触れることはかなり難しかったように記憶していますが、スペイン語となると、地方在住の一学習者にはほぼ不可能。大書店の洋書コーナーに行っても棚のほんの一角を占めているだけで、しかもカビの生えたような古典ばかり(失礼!)。目当てのものがある確率はほぼゼロです。そんな状態でしたので、なんとかリアルタイムで生の原文に触れようと、年間2万円近い購読料を払って、スペインの日刊紙エル・パイスのインターナショナル版を購読していました。
しかし。購読していたのはウィークリー版でしたが、ヒヨッコのわたしが自力で読めるのはほんの短い記事が数本だけで、しかも大体の内容をつかむのに四苦八苦というレベルでした。それでもあのとき、細々とでも原文に触れ続けたことに意味があった・・と声を大にして言えればいいのですが、たぶん、その効果はあまりなくて、大部分は「とりあえず生のスペイン語を見ている」という自己満足で終わってしまっていたと思います。いま考えれば、ずいぶん高くつく自己満足でした。しかもぜんぜんリアルタイムじゃなかったですし。
そう。まだ通貨が「ペセタ」の時代。ハガキか何かで申込書を送った覚えがあります。申し込んでから最初の号が届くまでに、2ヵ月はかかったでしょうか。それに、発行元がスペインだったからか、2、3週分の新聞が同時に到着ということもしばしばでした。新聞社からの発送自体が遅れたのか、郵便事情によるものか、ともかく発行日から1ヵ月以上経ってから数週分が届いても、気力が萎えるだけ。封を開けもせずに「積ん読」になった新聞は数えきれません。しかもいわゆる「新聞紙」ではなくて、妙に薄くて真っ白な、撥水性のある紙でしたので、大根や白菜を包むこともできず、タンスの中に敷くこともできず、古いほうから少しずつまとめて、少々の罪悪感とともに古紙回収に出す、ということを繰り返していました(「どこの誰がこんなものを読んでいるのか」という疑問と不安(?)を近所にばらまいたことだろうと思います)。やる気、空回りしてました。
大書店どころか、ごく小さな書店さえ数えるほどしかない当地(北陸某県ド田舎)に引っ越してからは、通信講座がまさに翻訳学習の命綱となりましたので、通算で6、7年は続けたでしょうか。新聞も、それくらいは取りつづけたかもしれません。そんな自己満足生活を送っていたわたしも、それなりに力をつけたのでしょうか、あるいはお情けからでしょうか、実際のところは分かりませんが、通信講座を主宰している会社などから、小さなものから徐々に翻訳案件を任せていただけるようになりました。最初は何でもやっていましたが、徐々に経済関係の仕事が増え、英語の仕事も受けるようになり、金融に狙いを定め、現在に至っています。
仕事をもっと早く始めて、もっと早くから経験を積んでいたら、もう少し違う翻訳人生になったかも、と思うこともあります。学習段階の努力がまったく無意味だったとは言わないけれど、「お客様」の立場で通信講座をのほほんと受け続けるより、自分の実力を越えているとしか思えない仕事を、冷や汗をかきながら、誰の助けも得ずにこなすことに勝る実力アップの方法はないと思うからです(もっともそのためには、トライアルでもなんでも受けて、とにかく早くプロの世界に入る必要がありますし、そのための努力はやはり必要ですが)。いまでも、翻訳の総合力アップのため、自分なりの努力はしている・・といえば格好はいいですが、時間ばかりかけて、内容がほとんど伴っていないこともしばしば。ですから、そんなことをするよりは、胃が痛くなるような緊張感のなか、迫り来る納期に恐れおののきながら、小さな案件を死に物狂いでこなすほうが、よほど力になる、と思うわけです。さらに、これに量が伴えば言うことはありません。きついですけどね。
スペイン語だけでなく英語に手を広げたのも、残念ながらスペイン語だけでは労働時間すべてを埋めることができない、英語とは圧倒的な需要の差がある、という理由が最も大きいです。「労働(翻訳)時間が少ない」=「収入が少ない」ことはもちろん、翻訳時間・量が少ないと実力も落ちていく、と思えるからです。仕事がないなら自分で材料を見つけて翻訳すればいい、やる気さえあれば実力は維持できるはず、と言われそうですけれど、実際問題として「対価」なしにモチベーションを維持しつづけるのは
至難の業です。学習者時代は「翻訳者に俺はなる!」(ONE PIECE風)という目標が目先のニンジンになり得ますが、見習いレベルであっても翻訳者を名乗った途端にその目標は失われ、やはり何がしかの対価がほしくなります。
そんなこんなで、大学卒業後、十数年間の空白を経て、英語の世界に再び足を踏み入れたのでした。もっとも、カネがほしい!だけでなく、スペイン語ではほとんど需要のない金融翻訳の仕事がやりたかったという理由もかなり大きいです。その点は、強調しておきたいと思います(笑)。
外国語→母国語方向の翻訳の場合、ソース言語が何であっても、翻訳スキル自体はそれほど大きく変わるものではありませんし(翻訳の問題の多くはターゲット言語にありますから)、特に英語とスペイン語は、ゲルマンとロマンスの違いはあるとはいえ同じ印欧語族で、構造が似通っているため、それほど大きな苦労はありませんでした。もともと英語が好きだったことも大きいかもしれません。ただ、原文の読み込みに関しては、感覚を取り戻すのにかなり苦労し、リハビリに半年以上かけました。
例えば英語独特の、名詞をだらだらつなげる表現。そういうことを一切しないスペイン語を見てきた目には、一瞬、何が何だかわからず、「誤植?」と思ったこともありました。 不定冠詞の a が前置詞に見えたりもします。英語のイディオムの多さにも改めて驚きました。スペイン語なら一単語で表現するところ、3つも4つも単語を使うことはざらですし。特に take や get などの簡単な動詞を使ったイディオムは、見ただけでは意味の分からないものもありますから、学生時代の苦労のし直しでした。電子辞書やネット辞書の普及に感謝です(いちいち紙の辞書を引く中〜大学生の頃のような気力はすでにナシ)。
金融・ビジネス関係の英語の文章なぞ、すでにインターネットでいくらでも手に入る時代になっていましたから、それを読んでも良かったのですが、それこそ対価なしではモチベーションの続かないヘナチョコさんなので、大好きなSFの原書を読んだりもしました。
故アイザック・アシモフの代表作の一つ”The Caves of Steel”と、1960年代までの初期SF作品を集めた”The Science Fiction:Hall of Fame”です。
そういうわけで現在は、金融・ビジネスの英和翻訳の合間に、様々な分野の西和翻訳の依頼を少し受ける、という状態になっています。元々の専門であるスペイン語の仕事が少ないのは少々寂しいですが、それよりもいまは金融の世界に面白みを感じていますので、金融の仕事ができるならば言語はなんでもオッケー、というところです。
こうして、それなりに長い間、翻訳業をやっているわけですが、いまでも「アンタ、翻訳の何たるかが分かってるのかい?」と問われれば、口の中でもしょもしょとつぶやくくらいしかできません。ま、引退するまでにそのヒントでもつかめれば御の字、というところでしょうか。今後10年、20年で、翻訳業界はもちろん、金融業界さえどうなっていくのか皆目見当がつきませんけれども、当面はいまの仕事を続けて(広げて)いけたらなあ、と思っています。