アースの皆既日食旅行記(14)
皆既日食の場合、欠け始めから欠け終わりまで、だいたい2時間半かかる。皆既が終わった後、最後まで見ることはあまりないものの、欠け始めから皆既まででも1時間ちょっとはある。
よって、第一接触(欠け始め)後、太陽と月が重なっていく様をずっと見ているわけにはいかない。前回も説明したが、専用グラスを用いても、連続して観察することはNGだからだ。
立派な望遠鏡を設置して、カメラを何台もとりつけ、ひたすら撮影を続ける人。いままでに見た(見られなかった)日食についてすべて解説してくれちゃう人。まったく関係のない、隣人の迷惑行為について文句を言い続ける人(日食初心者か、はたまた日食に慣れ過ぎた猛者か)。だがみんな、思い出したようにグラスを取り出し、天を仰ぐ。
過去の日食旅行についての話の中で、ジョンとサラが1991年のメキシコの皆既日食で太平洋岸の港町マサトラン(Mazatlan)にいた事実が発覚。その時、実はわたしもマサトランの町にいた。我々が知り合うのはその後1994年のチリ皆既日食の時だが、3年も前の同じ日、同じ時、同じ町にいたとは。知り合うべくして知り合った、ということか。
1998年、カリブ海のオランダ領アルバ島での皆既日食の時には、もともと狭い島に世界中から大量のバカどもが集まったうえに、そのほとんどが皆既時間の長い南部を目指したため、島の南半分が沈むのではと危ぶまれたほどだった。
だが今回は、さすが広大な北米大陸だけあって、いままでで一番、人口密度が低いようだ。
少し離れたところでは、キャンピングカーの上に椅子を置いて観察する人や、学生の集団が見えるが、我々のすぐ側にいたのは、アメリカ人の老夫婦が一組だけ。
男性は小さな望遠鏡を設置し、何かしきりにメモをとりながら観察を続けている。こういうところに現れるアメリカ人男性は、一般的な(というかステレオタイプの)イメージと異なり、非常に落ち着いた物腰で、理論的・理知的、感情に流されない寡黙な人が多い。したがって話しかけると、とつとつと、しかし丁寧に受け答えしてくれる。(ジョンは「寡黙な」の部分が当てはまらない例外的存在だが、そのほかは同じである)
そばの車の中では、助手席に女性が座って、何やらやっている。近づいて見ると、なんと SUDOKU(数独、ナンバープレース)である。わたしも数独は大好きだが・・いま?ここで?数独?と聞くと、「皆既までの時間ツブシよ!」との答え。ま、わからないでもないが。(ちなみに、このとき女性がやっていた数独のレベルはDEVIL(超難問)で、皆既前には解き終わったらしい)
わたしの場合、皆既までの時間は、こうして近くにいる人の様子を観察したり、お話したりするのがいつものパターンだ。そして忘れてはならないのが、周囲の「空気感」の観察、というより「体感」である。
しかし今回は・・・ああーーーーーーーっ!!!!!!
わ、わすれた・・・こんどこそと思って持ってきたのに、ホテルに忘れた・・・。温度・湿度計。しかも最高・最低温度も測れるやつ。皆既中は気温が明らかに下がるので、今度こそ数値を残そうとしていたのに・・・ううう。
ということも含めて、日食が進むに連れて変化する「空気感」については、次回お話しようと思う。