アースの皆既日食旅行記(8)
日食の前日。宿泊予定のオレゴン州レドモンドに向け、ドライブを続ける。
相変わらず、コロンビア川沿いのビューポイントでは、少し前から渋滞が始まり、ポイントを抜けると渋滞がなくなる、という状態である。我々は観光をすべて諦めてひたすら東進し、その後コロンビア川に別れを告げて南に向かった。
このあたりは、少し足を伸ばせばあちこちに興味深い地質学的ビューポイントがあることはわかっているが、すべて無視してひたすら南下する。皆既帯に近づけば、もっと激しい渋滞となる可能性もあるからだ。
かなりの高速でぶっとばしているにもかかわらず、道路両脇の風景はほとんど変化がない。これだけ広大な大地、ちょっと走っただけで激しい変化があったら逆に大変だが。おおお~アメリカらしいのう。と楽しめたのはほんのしばらくの間で、じきに飽きてしまう。一人で運転していたら、あっという間に寝てしまいそうだ。
じつは現在、東京に向かう北陸新幹線の中でこれを書いている。トンネルが異常に多いという難点はあるものの、車窓の風景はいい具合に変化があって、飽きることがない。現在、富山辺りを進行中・・すでに厚く雪をかぶった立山が美しい。左は日本海が広がっているはずである。
アメリカの乾燥しきった大地に話を戻そう。
コロンビア川から南へ進み始めると、空気の色がだんだんと白くなって来た。山火事の余波である。オレゴン州の最高峰Mt.Hoodも、雲か煙か、かすんでしまって、いまひとつよく見えない。
白い。白い。空気が白い。明日の日食は大丈夫だろうか。
煙の粒のように核となるものがあると、水蒸気がその回りに集まり、雲ができやすくなる。そのためわたしの高校の天文気象部では、観測旅行に行っても、花火だけは絶対にご法度だった(それ以外は何でもアリである。徹夜あけでソフトボールをやるのが恒例だったが、それを知った先生が気絶しそうなくらい驚いていたことを思い出す。若いとはいえ、徹夜明けでそんなことをすれば死んでもおかしくないことは、いまなら分かる)。
実際のところ、花火の煙ていどで雲ができるとも思えないが、今回の場合は飛行機から見えるほどの煙である。あれが雲や雨を呼んでもまったくおかしくない。と、頭の左半分では心配しつつ、右半分では、相変わらずおしゃべりに余念がない我々である。
そうこうするうちに、明日の目的地が近づいてきた。皆既帯の真ん中、皆既時間が最も長いとされるマドラスの町である。以前も書いたように、マドラスは人口6,000人足らずのごく小さな町だ。だが道路は、6車線すべてが、かなりの数の車であふれ返っていた。
道端に、日食Tシャツやバッジを売る店・・「日食観測場所貸します。2時間20ドル」の看板・・待ちきれないのか、はたまた模擬撮影のためか、さっそく望遠鏡を組み立てる人たち・・皆既日食のいつもの風景が見えてきた。いやがうえにも気分が盛り上がる。
しかし全体として、皆既日食で町全体がひっくり返っている、という印象ではないのが意外である(当日はまた違うのだろうが)。
1994年11月、ジョン&サラと知り合ったチリでの皆既日食の時は、ペルー国境に近いプトレという町が、まさにひっくり返っていた。標高3,500m超、普段の人口約2,000人の小さな小さな町が、世界中から来たバカどもに覆い尽くされた。町の人々が一世一代の稼ぎ時!と思ったかどうかは分からないが、道という道、角という角には屋台がずらりと並び、ありとあらゆるグッズが売られていた。
このとき我々は、米国旅行社のごり押しだか粘り強い交渉だか分からないが、チリ陸軍の兵舎で食事・宿泊させてもらうことができたため、日食もチリ陸軍の兵士の皆さんと一緒に観察した。(当然ながら個室がないため、男女が別々の兵舎で寝たのだが、女性用兵舎のお世話をしていた兵士の皆さんがものすごくうれしそうだったことを思い出す)
そして翌日。日刊紙El Tercero(エル・テルセロ)の一面に、兵士2人がいかにもという格好で日食グラスを掲げ、日食観察をしている写真がデカデカと載ったのだが、そのすぐ後ろでやはりうれしそうに日食を観察している我々がしっかり写り込んでいたのである。もちろん、その新聞は大切に残してある。
また脱線してしまった。
我々はとりあえずマドラスを通り過ぎ、皆既帯ぎりぎりの場所にあるレドモンドに向かった。恐れていた史上最悪の渋滞もなく、ホテルにたどり着くことができた。
は~さすがに疲れたよね。きょうはもう寝ようか。ポートランドのホテルはクイーンサイズのベッド2つだったけど、ここはキングサイズ2つだよ・・などと言いながら、渡してもらった鍵で部屋に入ると、なんと。クイーンサイズのベッドが1つの部屋である!このホテルをとったのは1年前。しかもぼったくりの200ドル。明日は皆既日食。ホテルの入り口には、No Rooms Available(空き室なし)の看板が掲げてあった・・。