アースの皆既日食旅行記(6)
日食の前々日。
ポートランドからは、なぜか人気(ひとけ)が消えた。我々が行った場所がたまたまだったのかもしれないが、この静けさは尋常ではない。そろいもそろってのんびり屋さんの3人であったが、もしかしてみんなもう、皆既帯に向かってしまった?と若干不安になってきた。
以前説明したように、今回、皆既日食が見られる幅約110kmの「皆既帯」は、米国の北西部から南東部まで数千kmの長さがあった。しかし当然ながら、山岳地帯や砂漠のど真ん中まではなかなか行けないため、普通の人々は一般道と皆既帯が交差する地域を目指すしかない。
そういう次第で、今回も皆既帯上にある町は、大きさを問わず、人々であふれ返ったはずだ。中でも、(太陽と月が完全に重なる)「皆既」の時間が最も長くなる中心線を目指す人が多かったことと思う(皆既帯をベルトに見立てると、上と下のちょうど真ん中、穴の開いている部分である)。
皆既日食を、単に美しいだけの天文イベントとして捉えている人が多いかもしれないが、太陽の周囲に広がるコロナや太陽表面のプロミネンスなど、普段は太陽光が邪魔で観測できない現象を観測するのに絶好の機会となる。また皆既中は月のシルエットが見えることになるので、月の地形を調査することも可能である。
※コロナ:太陽の周囲に広がる薄いガスの層で、太陽直径の4~5倍にわたって広がる。皆既日食中は、柔らかいベールのように太陽を取り囲む様が肉眼で見える。これが実に美しい。
※プロミネンス:太陽表面からガスが吹き上げる現象で、太陽表面からの高さは5万~10万km。大きなプロミネンスが太陽の縁にあると、日食中はそこだけが月の後ろから飛び出す形で明るく見える。(ちなみに地球の直径はわずか1万2,000kmなので、その規模の大きさが分かろうというものだ)
そのため研究者たちは、一般人よりもはるかに熱心かつクレイジーに皆既日食を観測するべく、自前の移動手段を確保し、最高の条件で観測が出来る地域ならどこへでも、それこそ砂漠の真ん中へでも出かけていく。
・・・と、昔はそうだったらしい。だが最近は、なんと宇宙に打ち上げた衛星から観測することが多いそうだ。したがって今回の場合も、研究者自身はアメリカ大陸からはるか離れた研究室でコンピュータをにらんでいただけかもしれない。
月の地形に至っては、例えば日本が月に送り込んだ探査機「かぐや」が、月面上の高度100kmから舐めるように調査を行ったため、地球からの観測はほとんど意味がなくなった。(地球から月までの距離は約38万km)
解説が長くなった。
我々が一応の目標地点としたのは、オレゴン州の中北部に位置するマドラスという町である。
マドラスの普段の人口は、なんと6,000人たらず。日食当日は、それが10倍になるとも100倍になるとも言われていた。ホテルなどは、2、3年前から旅行社の予約で埋まっていたとか。
よって我々のような完全な個人旅行者は、皆既帯の中ではあるが、中心線からは離れたところに宿をとる人が多かったように思う。我々も、かろうじて皆既帯の中に入るレドモンドという町(人口2.6万人)に宿泊した。当日は、そこからできるだけ中心線に近づこう、という計画である。
話をポートランドに戻す。
いささかの出遅れ感を感じながら、我々も翌日からの移動・日食観察に向けて、ささやかな準備にとりかかった。
ポートランドから観測予定地のマドラス近辺までは、途中、多数の美しい滝が見られるコロンビア渓谷沿いの道を通るので、本当ならば、あちこちで止まって景色を楽しみたいところである。だが数百万人が移動するとされている20日、最悪の場合はポートランドからマドラスまでの道程(約300km)の大部分で渋滞が発生するのではないかとの予想すらあった。
となれば、問題は食料・飲料である。
わたしが「水とか食料とか買っとく?」と提案したところ、サラがニヤニヤしながらカバンから取り出したのは、ジップロックに詰めるだけ詰め込んだスニッカーズのような各種バー(スニッカーズよりはやや健康に配慮したバーだったが)と、これまたジップロックに詰め込んだ、何年分やねんというくらい大量のアーモンドであった。さすが。
それでも、これだけでは飽きるだろうということで、現地のスーパーに行き、チーズやクラッカーなどを買い込んだ。水はもちろんである。
さらに問題はトイレであるが、こればかりは止まれる所でなるべく早めに対処するしかない。
渋滞が思ったほどでもない場合は、当然ながら自然に触れるのが好きな我々だけに、できればコロンビア渓谷沿いをゆっくり楽しみたいところである。そこで、運転手のジョンには先に寝てもらって、サラとわたしは大きな地図を机の上に広げ、寄りたい所のリストを作成した。
※何百km、場合によっては1,000km越えの行程を予定していたのに、想定する運転手がジョン1人というので驚いたが、運転手が増えると、その分レンタカー代がかなり増えるのだそうだ。
前回わたしが海外に出たのは、携帯端末が爆発的に普及するより前のことである。そのため、久々に海外に足を踏み入れるなり感じたのは、「世界が変わった」ということであった。わたしの頭の中に残っていたのは、ホテルや航空機の予約こそネットでとるけれども、その他はまだまだアナログで、特にガイドブックや地図は紙製、という世界だったからだ。
その感覚を引きずりながら、誰も彼もがスマホかタブレットを手にしている情景―日本でいつも目にしている情景のはずだが―をしみじみ見ると、まさに隔世の感があった。いや、これは大袈裟かもしれない。
18年ぶりに会った我々も、当然ながらそれぞれにIT化の波をくぐり抜け、それぞれに21世紀の人間になっていた。おもしろかったのは、米国人のサラとジョンが韓国Samsung社、日本人のわたしが米国Apple社の携帯端末を使っていたことである。
わたしがApple命なのに対し、ジョンはアンチApple。
わたし「だってAppleかわいいんだもん」
ジョン「だから嫌いなんだもん」
サラ「使えればどーでもいいでしょうが」
まったくこの通りの会話があったかどうかは覚えていないが、まあこんなようなやり取りをしたものである。道中、ジョンがDamn Apple!(くそったれあっぷる)と言っていたのを何度か聞いた。まあお下品な。
ともあれ。
昔ながらの折り畳んだ大型地図を机の上にばりばりと広げながら、21世紀の人間でも、やっぱり地図を俯瞰する時は紙がいいんだね、まだまだローテクだね、と言って笑い合った我々であった。