人が人として動き出した
石川県の中でも最も田舎と言える能登町(輪島市のお隣)というところから、県庁所在地である金沢市に引っ越してから、はや5ヵ月が過ぎました。一応、人口200万人を超える某都市で生まれ育ち、しばらくは東京で暮らしたこともあるわたしですが、今回は久方ぶりの都会生活ということで、若干の不安も感じていました。年に数回は東京で何日か過ごしていたものの、旅行者と居住者ではまったく違います。それは、東京から能登に引っ越した際に、嫌というほど感じたことでした。
最初に東京に引っ越したときは、地下鉄のある程度の都会から東京への移住ということで、「おお、東京だなあ」「人が多いなあ」「空気悪いなあ」「電車が複雑だなあ」と感じる程度。柔軟な20代という要素も大きかったのでしょう。
しかし、東京から能登に移ったときのショックたるや、まさに筆舌に尽くしがたいものがありました。どっちがいいとか悪いとかではなく、「これが同じ日本なの?」という、アゴが外れそうな驚き。まさに文化衝撃。「おお、田舎だなあ」「人が少ないどころか、いないなあ」「空気いいなあ」「電車がないなあ」では済みませんでした。
でも、何年か暮らすうちに、様々な理由から「こちらが本来の日本なのだろう」と思うようになりました。・・・とまあ、まじめな話はまたいつかするとして、きょうは都会へのUターンのお話を少し。
住んで5ヵ月ともなればすっかり慣れてしまいますので、いまや最初の感動もなくなってしまいましたが、鮮明に覚えていることがひとつふたつ。
まだゴミステーションの場所もちょっと不安に感じていたころの話です。自治体によって分別方法もいろいろだなぁ〜覚えるのめんどくさいなぁ〜種類によって捨てに行く場所が違うのかぁ〜とぶつぶつ言いながらゴミステーションに向かっていたとき、ふと気がつくと、わたしの前後左右を、それはそれは大勢の中学生が歩いているではありませんか。
ななななんだ、きょうは何かのイベントでもあるのか??と思った次の瞬間、はっと気がつきました。これはただの通学風景なのだと。
能登町では、半径約10km圏内の地域に住む中学生が1つの中学校に通っていますから、3人以上の中学生が一度に見られるのは、学校のごく近い範囲だけ。そもそも歩きで通う中学生なんかほぼいない。自転車の子が少しと、あと大多数は、町の仕立てた通学用バスを利用するか、親に送ってもらっています。小学生も同じ。そして大学生という生き物はいません。能登町はおろか、いまや能登半島に大学は一つもないからです。
そんな風景のなかで長年暮らした後に、イベントでもないのに何十人もの中学生を一度に見たのですから、それはもう珍しくて。女子生徒の真っ白な靴下とスニーカーが、それはそれは目にまぶしくて。怪しいストーカーさながら、まじまじと観察してしまいました。
その後もしばらく、ただ学校の回りをランニングする中学生が珍しかったり、近くの保育園から聞こえる歌声の大きさにびっくりしたり(何十人もいるので)。窓の外をいろんな人が行き来するのが見えるのが珍しかったり、一時は完全にお上りさん状態でした。
あの感覚が強烈なうちに詳しく書き残しておけば良かったと、いま強く後悔しているのですが、これまでの周囲の状況と異なり、大勢の多様な人々が「普通の生活」をしているのを目にして、逆に「非日常感」「非現実感」を感じた、とでも言ったらいいでしょうか。
能登で暮らしていたあいだ、東京に行っても、「当機は羽田空港に着陸いたしました」とのアナウンスを聞き、「ウム、東京だ」と気持ちを切り替えて飛行機を降りれば、なんなく都会の雰囲気になじむことができました。
ですから、久方ぶりの都会生活も、基本的に問題ないだろう、と思っていたのです。いや、問題はなかったのですが、予想していたよりもずっと鮮烈な印象を受けたことが、自分でも驚きでした。旅行者と居住者では、視点がまるで異なるからでしょう。
東京にいる時、旅行者のわたしにとって、多くの人は人でありながら人でなく、ただ自分の周りを流れる水のようなもの。でもいまの自宅の周りでは、すべての人がきちんと人に見えてきます。そして当然ながら、それぞれがそれぞれの生活を持っています。
近所のおばさんはせっせと野菜を作り、男子中学生はアホな替え歌を歌いながら道一杯に広がって下校し、近くの中華料理店は量が多くておいしいけど、店員のおねえさんはひたすら愛想が悪く、そして古紙回収車のおじさんの声は相変わらずやかましい。
ほんのしばらくの間でしたが、こうしたことがいちいち新鮮で、感動的ですらありました。
もうひとつおもしろかったのは、これもほんの少しの間でしたが、そこはかとない孤独感や、取り残され感を感じる瞬間があったこと。わたし自身はもともと、一人で長時間過ごしてもまったく問題のないタイプです(だから翻訳業などやっていられます)。能登でも特に濃いご近所付き合いをしていたわけではないので、いわゆる都会の冷たさに悲しい思いをした…というわけではありませんし、そもそも地縁血縁のなかった能登から、地縁血縁のない金沢に引っ越したわけですから、条件は同じはずなのですが…。
あえていえば、自分が都会を離れていたあいだ、こんなにたくさんの人々が(当然ですが)自分とは関係のないところで、どんどん前に進んでいた、しかし自分はそれにまったく関わっていなかった……それが取り残された感じにつながった、ということでしょうか。これはいまだによくわかりません。
人付き合いと言えば、近所同士の距離の取り方は特に新鮮に感じました。いまの家はわりと郊外にあるので、近所付き合いもそこそこあるようなのですが、会話をしていると、「この線から先、あなたの世界には踏み込みませんよ」と言っている線が目に見えるようで、興味深かったです。これがいいか悪いかは別として、人によってはそれが淋しくも感じられるのでしょう。ともあれ、田舎にいたあいだ、ずっと「ご近所フィールドワーク」をテーマとしてきたわたしには、大変興味深い体験でした。
※ご近所フィールドワーク:病院の待合室や、スーパーのレジの列などでしゃべりまくるじーちゃんばーちゃんの話の内容を(難解な方言に苦しみながらも)聞き取り、人類学的・民俗学的・社会学的に分析すること。
しかしあっという間に、こうした感慨や感動は消えてしまいました。ザンネン。
また1年、2年暮らしていけば、別の感覚が出てくるかも
れません。今度こそ、リアルタイムで詳しく書き残しておこうと思います。
じわじわ人気上昇中(らしい)石川県公式キャラクター「ひゃくまんさん」。あまりのキモさに当初、県議会で批判続出だったらしいのですが、奈良県の「せんとくん」の例もあり、からくも生き残りました。もともとは北陸新幹線開業のPRマスコットだったのに、着ぐるみは幅が広すぎて改札が通れないわ、新幹線にも乗れないわで、話題に事欠かないひゃくまんさんです。下の写真はひゃくまんさんの後ろ姿。県名を堂々と背負ってしまう節操のなさ、もとい、勇気には脱帽。