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文字を読むということ

みなみ

通訳・翻訳者リレーブログ

 私は幼いころから文字を読むことが趣味でした。読書ではなく、文字どおり「文字を読む」ことです。幼稚園のころ、図鑑を買ってもらってはあきることなく眺めていました。
 小学生になってねだったのが百科事典です。今では電子辞書にすっぽりと収まってしまいますが、当時は本箱にずらりと並んで、なんだかいかにも威厳があって、大切な情報源、という雰囲気が漂っていました。
 そして学校から帰ると、「今日は『な』の巻にしよう」とおもむろに開き、じっと読んでいたのでした。
 確か大学生になったころに、母親がふと、「今だからいうけれど、百科事典を難しい顔をして読むふけっている姿を見て、一時は本当に、この子はどこかおかしいのではないかと心配した」と言いました。そう、私はマンガを読んで楽しんでいても、文字を読んでいるときは眉間にしわが寄るくせがあるのです。それにしても、そんな心配をされていたとはまさに親の心、子知らずです。よく黙って見守ってくれたものだと、感謝しています。
 私の小学校のころの悩みといえば、本を読むのが早いので、「ああ、また本を読み終わってしまう。どうやったらほかの人のように、ゆっくりと読めるのだろうか。どこか読み方が間違っているに違いない」というものでした。どうしてみんながあんなにゆっくりと読めるのか、不思議でたまりませんでした。
 その謎は、大学で心理学専攻の友人の「文字を読み取る能力」の実験体になって判明しました。ひらがなのカードが提示されてから文字として認識するまでの時間を計る、という実験です。その実験によると、私は「文字を認識する速度が異様に速い」ということでした。文字を見て、それが例えば「あ」という文字である、と脳が理解するまでの時間が速いそうなのです。友人からは、「認識が早くできるからって、それだけのことなんだけどね」と有難い言葉を頂戴しましたが、「それで、本を読むのが速いのだ!」と長年の謎がとけて、非常にうれしかったのでした。
 人には、なにかしら取り柄や能力があるのだと思います。それが芸術とか、スポーツとか、会社経営とか、美貌とかだったら、それはその人に名誉や地位、賞賛やお金を与えてくれることでしょう。
 私の才能はしょせん、「文字を早く読める」ことです。社会に貢献できる才能ではありません。でも、もしかしたら一生かかっても自分の能力がなにかを分からないままの人生だってあるかもしれません。例えばスキーの才能があるのに、赤道直下の国に生まれてしまうとか。それなのに、私は自分が持つ能力が何かを知っているのです!
 新しい分野の下調べをする際に限られた時間で資料を読むときなど、翻訳という仕事に、この「文字を早く読む」という能力は非常に役立つことがあります。自分の能力を知り、それを生かす仕事ができて、なんとありがたいことだろう!とふと思ったのでした。

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記事を書いた人

みなみ

英日をメインとする翻訳者。2001年からニュージーランドで生活。家族は、夫(会社員)、娘(小学生)、ウサギ(ロップイヤー)。

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