アオテアロア
ニュージーランドの先住民、マオリは、約1,000年前に太平洋上の島々からカヌーに乗って、アオテアロア(「白く長い雲のたなびく国」。マオリ語でニュージーランドのこと)にやってきた人々の子孫です。
現在でも、多くのマオリのイウィ(部族)は、どのカヌーに乗ってやって来たか、自分のファカパパ(家系)を辿ることができます。そしてイウィごとに文化や宗教、習慣が異なるため、NZの書類で国籍を書く欄には、マオリの場合にどのイウイに属しているかを記入する欄が必ずあります。
数百年の間、マオリの人々が暮らしていた土地にその後、多くのヨーロッパ人がやって来ました。やがて土地の所有権をめぐって白人とマオリの衝突が深刻化し、1840年2月6日、英国側とマオリ首長たちとの間で、ワイタンギ条約が締結されました。ワイタンギは、この条約が締結された地名で、北島の一番北の方にある小さな町です。
それまで入植者と先住民マオリとの間で紛争が絶えなかったこの地域の沈静化のために、さらにニュージーランドとの貿易を保護するために、ワイタンギ条約は締結されました。「ニュージーランドの主権を英国女王に譲渡する代わりに、土地や漁業権などは引き続きマオリが所有する」というものですが、「マオリ人は英国民としての権利を与えられる」という点が、オーストラリアのアボリジニへの処遇と大きく異なるとされています。ただ、この日を境に、ニュージーランドが実質的に英国の植民地となったのは事実です。
この条約は今でも生きていて、ニュージーランドの国としての在り方のよりどころとなっています。しかし、英語版とマオリ語版で意味が異なる部分があり(英国側の翻訳者の意訳とも、誤訳とも、はたまた概念の違いからやむを得なかったとも言われている)、土地や権利に関する解釈の違いはいまだに物議をかもしています。
と、なぜ長々と書いたかというと、先週、マオリの歴史に詳しいキウイの知り合いに誘われて、マオリの一部族が1,000年前に上陸したと言われている、オークランド東部のCockle Bayに行ってきたからです。
その浜辺には、樹齢2,000年という大木が立っています。この木には、マオリの先祖が上陸して、後に続く人たちのために大きな赤い目印を付けた、という伝説が残っています。
大きな木、というイメージをはるかに覆す、本当に大きな、大きな木でした。1,000年前にはおそらく、すくっと立っていて、いい目印になったそうですが、今では低く這っています。
ニュージーランドの歴史をずっと、黙って見てきた木なのだと思うと、なんだか言葉にはできない感動がこみ上げてきました。
マオリの伝説を説明する碑。
樹齢2,000年の大木。対象物がないので小さく見えるかもしれませんが、這いつくばっているとはいえ、十数メートルの高さがあります。