BLOG&NEWS

日記の思い出

みなみ

通訳・翻訳者リレーブログ

 小さいころから書くことが大好きでした。幼稚園の時に絵日記を買ってもらって、初めて書いた日のことを今でも覚えています。うれしくって張り切って書き始めたのに、なんだか思ったとおりに字が書けなくて、何度も何度も消しゴムで消して書き直しているうちに、紙がぼろぼろになってきて、おいおいと泣き出してしまいました。
 幼稚園の分際でいったい何を書こうとしていたのかは思い出せませんが、あのときの悲しかった思いは今でもはっきりと覚えています。
 絵日記は小学校に入るまで続きました。別に言われてやっていたわけではなかったのですが、毎日、なぜかちゃんと続いていました。たんに、その日に何をやったのかをつづっただけのつたないものですが、十数冊の絵日記は今でも実家に大事に置いてあります。
 そして小学校高学年になって、「アンネの日記」を読んで衝撃を受けました。「日記とは、こうやって自分の思いを書くものだったのか!」 自分の部屋で、寒かったのでブランケットにくるまりながら、アルファベットチョコレートを食べながら読んでいた状況を今でもはっきり覚えています。私は基本的に記憶力はあまりない方なので、この日記を読んだことがいかに当時の私にとって衝撃だったか、ということです。
 この日から、アンネは私にとって尊敬すべきお姉さんとなりました。真似をして、小学校6年生の誕生日には万年筆と日記帳も買ってもらって、アンネっぽい感じで日記をつづっていました。その日記帳がなくなると、さらに真似をして、家にあった古臭い大学ノートを日記にしました(アンネは最初の日記が終わると、帳簿を使うようになる)。
 アンネが日記に「キティー」という名前を付けたように、私も日記に呼びかけ(適当な名前が見つからなくて、たんに「日記さん」でしたが)、終わりは「じゃあ、また」で締めくくっていました。
 そのとき買ってもらった万年筆は今でも、私の横の鉛筆立てに入っています。かれこれ30年近く、なくさずに持っていることになります。お手本のアンネは、愛用の万年筆を暖炉で間違って燃やしてしまいますが。
 そして、15歳で死んだアンネの年齢をあっという間に追い越して、アンネのお母さんといってもいい年齢になりました。今でもアンネの日記は私にとって大切な存在であり、ニュージーランドに引っ越すときも、「アンネの日記完全版」は迷わず荷物の中に入れました。
 先日、小川洋子さんの「アンネ・フランクの記憶」という本を読んで、幼いころのアンネへの思いがよみがえってきました。小川さんは、アンネの日記を読んで、作家になろうと決心したそうです。この本は、そんな小川さんがオランダにあるアンネの隠れ家、そしてアンネと関わりのあった人や場所を訪れたときの思いをつづったものです。
 芥川賞受賞者の小川さんと一緒にするのもおこがましいですが、「ああ、ここにも、アンネに憧れた人がいるのだ」と思いながら、なんだか思い出を共有しているような気持ちでページをめくっていきました。
 特に印象深かったのは、小川さんがアンネの隠れ家を訪れ、アンネとマルゴーの背比べの跡が見つけて、自分より身長が高かったことに驚くくだりです。残されたアンネの写真はまだまだ幼い感じですが、これは、一家が隠れ家生活に入ってからは一切、写真が撮影されていないためです。現像をして、なにかの拍子に隠れ家生活がばれてしまうのを恐れたためでした。
 いつか、その跡、そして隠れ家の入り口を隠していた本棚を見に、私もオランダにあるアンネの隠れ家に行くというのは、私の人生における目標の一つです。小川さんの本によると入場するのに長蛇の列なので、朝、時間に余裕をもって行った方が良さそうです。

Written by

記事を書いた人

みなみ

英日をメインとする翻訳者。2001年からニュージーランドで生活。家族は、夫(会社員)、娘(小学生)、ウサギ(ロップイヤー)。

END