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Semester1追い込みへ

みなみ

通訳・翻訳者リレーブログ

 今週末の「Research Tools and Professional Issues 」のAssignment(それぞれのテーマを翻訳する際に使ったウェブサイトの評価について)提出から始まって、6月1週目まで、各コースのAssignmentやテストが目白押しです。大学の図書館は6月末まで、試験対応のために夜10時まで開いています(もっとも私はもっぱら自宅の元仕事部屋、現在の勉強部屋にこもっていますが)。
 オークランド大学の図書館は、NZで一番の日本関係の蔵書を誇ります(といっても、NZには大学は8校しかない…)。今まで、翻訳論に関する本をほとんど読んだことがなかった私は、ここにきて、柳父 章氏を始めとする日本の翻訳関係の本を課題のリーディングの合間に読むようにしています。母国語の読書は、精神的な息抜きにもなります。
 これまでで非常に興味深かったのは、杉本つとむ著の「日本翻訳語史の研究」でした。これは、1983年発行で、布張りの古めかしい外観ですが、中身は幕末の蘭学者たちがいかに翻訳に取り組んできたかを、綿密な資料の研究に基づいて生き生きと描いた、素晴らしい著作です。日本国内はもちろん、世界のあちこちに点在している当時の辞書や写本について、一点ずつ丁寧に目を通していく、という気の遠くなる作業の集大成です。
 この本には、幕末に乏しい情報を基に必死で翻訳に取り組んだ蘭学者たちへの愛があふれています。また、日本の翻訳論の第一人者である柳父先生とは違う切り口が興味深いです。例えば、柳父先生が明治時代の翻訳の天才として紹介されている福沢諭吉に対しての評価が低かったりします。
 そして私がもっとも心に残ったのは、<あとがき>にかえてと題して記された、オランダ語との関わりについての文章です。

「・・・しかし所詮、翻訳はあくまでも置き換えであり、ことば自体、一つの限界をもつ。日本人がオランダ人になれないように、永久に<異>をもちつづけるであろう。しかし、それをさらに大所に立つ−人間一般、黒も黄も白も、すべて世界の人はことば(ラガージュ)の宇宙に住む同胞であるとするならば、ことばには心と体で、また無限ともいえる手段方法の諸様式によって近接することができるはずである。歴史や伝統へのアプローチ、さらに個人同士の接触によって共有する文化を理解しうると思う。」(p.487)

 実は私は、大学の授業の中でもTranslation Theories(翻訳理論)の必要性に疑問を持っていたのですが(理論を知ることが実際の翻訳に役立つとは思えなかった)、この文章を読んだ時に、なぜかすっと、理論の大切さが理解できたのです。ラガージュという言葉は、構造言語学の祖といわれるソシュールの言葉で、私が理解するところでは、言語を生み出し、習得する能力を指します。杉本先生のこの言葉を読む2週間ほど前に、翻訳理論の授業でちょうど、言語学が翻訳論へ及ぼした影響というテーマの時にソシュールについて勉強していたのです。もしこの授業がなくて、ソシュールが掲げたラガージュの概念を私なりに理解していなかったら、杉本先生の本のすばらしさ、翻訳のもつ可能性についても理解することができなかったことでしょう。そもそも、翻訳論に関係する本なんて、読もうとも思わなかったのは間違いありません。
 新しい世界を開いてくれる勉強って楽しいな、こんな機会を与えてもらえてありがたいな、と心から思う今日このごろです。
 

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記事を書いた人

みなみ

英日をメインとする翻訳者。2001年からニュージーランドで生活。家族は、夫(会社員)、娘(小学生)、ウサギ(ロップイヤー)。

END