Googled: The End of the World as We Know it
Googleがいかにして生まれ、影響を与え、今まで私たちがなじんできた世界が変化したかを描いた、表題の本を読み終わりました。Google創業者2人を始め、Googleの元幹部、現幹部、Yahooを始めとするライバル会社、Googleによって会社存亡の危機にさらされる新聞社や広告会社、テレビ局の幹部などなど、総勢150回のインタビューをもとに、Googleがもたらしたもの、そして、もたらそうとしているものを浮き彫りにしています。
なにより衝撃を受けたのは、音楽や本のデジタル化の動きもさることながら、現在の形の新聞がGoogleの登場によって、衰退期に入っている、ということをデータで目の当たりにしたことです。だれもが無料でニュースを得ることに慣れてしまい、購読部数が減り、広告費が落ち込み、アメリカでは新聞社が次々とつぶれています。私は、日本でも新聞が大好きでしたし、今でも特に土曜日のとびきり分厚い紙面をコーヒーでも飲みながら、のんびりと、広告も合わせて眺めるのが楽しみの一つです。でも、こういう楽しみ方は、できなくなるのも時間の問題かもしれません。
ふと、むかーしむかし、まだ私が日本で会社員をしていたころ(たぶん2000年前後)、当時の上司である課長と、「新聞を紙でなく、画面で読む日が来るか」というかけをしたことを思い出しました。課長は、「新聞というのは、紙で読むからいいのであって、画面で見ることなんて当分来ない」と主張し、私は、「いや、今は無理があるが、**年先には薄っぺらくて、持ち運びができる電子版ができるに違いない」と言い張り(私のイメージは、電子版ペーパーという非常に薄いものだった)、では、**年後にもしそうなっていたら、◎◎を奢ってあげよう、ということになったのでした。でも、**と◎◎の部分を忘れてしまったし、そもそも、課長(今はもう部長)がそんなことを覚えておられるわけもないと思うので、こんなかけは成立していないのですが、それによって、新聞社がつぶれていく、なんて、思ってもみませんでした。本当に、この10年でGoogleは世界を変えてしまいました。
この本は、決してGoogle礼賛ではありません。Googlが採用するヒット数によるAlgorithmによる検索は、必ずしも質の高いサイトを最初にリストするわけではないことを指摘し、彼らのサイエンスへのあまりにも高いこだわりに疑問を抱いています。また、Googleの広告以外に、これといった収益源を見つけることができていない現状は、いくら業績が好調だからといって、発展性があるのか、という疑問があります(YouTubeでさえ、まだどうやって収益性のあるものにするか、決定的な戦略ができていない)。また、個人情報保護や著作権保護という観点で、決定的なコンセンサスは得られていません。
90年代後半に、企業サイト(「ホームページ」という言い方をしていました)の担当をしていたころ、「Googleというロボット検索ができて、ヒット数でサイトが検索される仕組みになっている。」と教えてもらいました。それまでは、検索サイトのおめがねにかなったものや広告費を払ったものがトップに上がる、人的な介入による検索サイトが主流だったのです。そのときは、へえ、そうなんだーで終わってしまいました。でもたった10年で、今では、翻訳の仕事をするうえで、Googleを使わない日はありません。というより、Googleがなければ、私は翻訳という仕事をしていたかどうかも、分かりません。
でもつまり、もしかしたら、10年後には、まったく新しい概念のものが使われている可能性もある、ということなのです。そのために、今、マイクロソフトやGoogleのように、どこかのガレージの片隅で、何かが生まれようとしているかもしれません。それが翻訳こんにゃくでないことを祈ります。とりあえず、翻訳こんにゃくが発明されて、「昔は人間が翻訳していたんだよ」となるまでは、この仕事を続けていこうと思っているので。
なお、この本は、日本では「グーグル秘録 完全なる破壊」という題名で翻訳されています。