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語学の勉強は今後、必要か?

みなみ

通訳・翻訳者リレーブログ

 最近、タイトルの疑問を抱いている。なぜなら、あと10年もしたら、今のナビや電子辞書みたいな感じで、翻訳・通訳をしてくれる機械ができるんじゃないかなあ、と想像しているからだ。科学的根拠はない。ただ、今から10年前には考えつかないもの(iPhone、iPad、Googleストリートビュー・・・)が次々と生み出されている今、そうそう酔狂な想像ではないように思う。
 例えば、自動車の自動運転というのは、金に糸目さえ付けなければ、すでに実現できるそうである。だとすれば、今は機械翻訳のお間抜けな翻訳が笑い話になっているけれど、10年後には「あんな時代もあったなあ」と回想されてもおかしくはないのではないか。
 たとえ、完全に翻訳という業種がなくならないにしても、機械翻訳の技術向上と並行して、人々の翻訳文に対する要求度が低くなり(不自然な文章への許容度が低くなる)、人間による翻訳が「こだわりの高級品」としての存在になるような気がしている。例えば、洋服に、大量生産の安価な既製品と、デザイナーによるカスタムメイドの高級品があるように。
 国際化が進んだ今、日本では英語を社内語とする企業が出てくるなど、ますます英語学習熱が高まりそうな雰囲気である。私が住んでいるニュージーランドには、子供の英語を上達させるための母子留学の人もたくさんいる(日本だけでなく、中国や韓国からも多い)。
 家族で一緒に過ごせる時間なんて、人間の一生でごくわずかしかないのに、その大事な時間を犠牲にしてまで、英語の上達って、目指すものなのかな。と思ってしまう。人ごとだけれど。
 最近、日本電産が、「2015年から管理職への昇進には日本語以外の1カ国語、2020年から部長級への昇進には2カ国語の外国語の習得を条件とする」(日経ビジネスオンライン No.1069)ことを決めたという。これとて、2020年ごろには、ビジネスレベルの翻訳・通訳なんて、機械でできるようになっているじゃないかな、と思う。そもそも、言語なんて1つのツールに過ぎないのに、それを昇進の条件にするより、翻訳者や通訳者にやらせるようにして、ビジネス本業の能力にもっと着目すべきでは、と思ってしまう。
 一般の人がわざわざ語学のために時間を費やす必要なんて、むしろ、減っていくのではないだろうか。その反対に、言語を職業としている人は、今よりますます知識や経験が要求されるようになるのではないだろうか? そう、パーティで発注主がもっとも映えるカスタムメイドのドレスのように、コミュニケーションをもっとも円滑に、効果的に実現できる、機械では不可能な翻訳。
 これは、希望的観測であり、もしかしたら、電話交換手や活版の植字工の仕事がなくなったように、翻訳も過去の職業となる可能性はあるように思う。空港のチェックインカウンターだって、オークランドは国内線は無人タイプになった。スーパーのレジだって、無人タイプを使ったら、少し割り引きされる、という仕組みになっているところがある(私には操作が難しいけれど!)。
 もし翻訳という仕事の需要がなくなってしまったら、どんな仕事をしようか。いったい、どんな仕事が私にできるのやら。そんなことを考える今日このごろ。今はとにかく、勉強! あともうちょっとで、「英文ビジネス契約書大辞典」をひととおり、目を通し終わる。この本は、海外とのやりとりの経験が豊かな著者の事例がたくさん織り込んであって、契約書を翻訳するうえでとても参考になる。

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記事を書いた人

みなみ

英日をメインとする翻訳者。2001年からニュージーランドで生活。家族は、夫(会社員)、娘(小学生)、ウサギ(ロップイヤー)。

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