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わらしべ長者的キャリアのすすめ

まめの木

通訳・翻訳者リレーブログ

『まんが日本昔ばなし』世代の方々にはお馴染みのこの話、私の人生哲学と言っても過言ではないほど好きなのである。
ものすごく貧しい男が一心に観音さまに祈るところから始まり、「ここを出て初めて手に触れたものを大事に持って旅に出なさい」とお告げをもらった男のサクセス・ストーリーだ。一本のわらを拾い、それにアブが止まり、それがミカンになって、絹の反物になって、馬になって、最終的には縁を得て長者になる。
この主人公の特徴で注目すべき点がいくつかある。
まずこの男、かなり注意深い。いくら観音さまのお告げといえども、いや、観音さまの言葉だからこそ期待度も高まり、普通ならわらなんて拾わずに行ってしまう。わらが落ちていることすら気づかないこともあるかもしれない。また、ハプニングに対しても常に前向きだ。話の中では、常識から考えてかなり損な取り引きもしているのである。絹の反物と馬を交換する場面だ。いくら侍の持ち物といっても、元気のない弱り果てた馬などを押し付けられた時だって、「ラッキー!わしゃあ、ついてるのう。さすが、観音さまのお陰じゃ。」と喜んでいるのである。この辺の感謝の心も素晴らしい。しかも、すべきところではちゃんと努力もしている。絶命寸前の馬を城下町の長者が一目惚れする程までに介抱するのだ。それも、「きっと良い馬なのだから元気になれば高い値で売れるかも…」などといういやらしい下心は皆無で、「お前も疲れたろ…」とまるで同志のように水を飲ませたり、体を拭いてやったりするのだ。

この話を思い返す度に、つくづく通翻訳者の道にも通ずるところがある、と一人うなずいてしまう。さすがに観音さまのお告げは無いかもしれないが、私たちも「ああ、通訳者になりたい。どうにか通訳者になれないだろうか…」という夢を抱くところから始まる。そして長い長い旅に出るわけだが、学校に通って、各種資格を取って、さあエージェントに登録!というところまで行っても、登録した月からいきなり「売れっ子通訳者」という訳にはいかない。そこで大事なのは「目の前に最初に現れた“わら”を大切にすること」だ。最初はビジネスレター1枚、スペック1枚の翻訳の依頼かもしれない。しかし、その“わら”が数年後の会議通訳の仕事につながる可能性を秘めているのだ。確かに1週間にたった1枚の翻訳では生活できないが、だからといって捨ててしまっては、翻訳料が手に入らないばかりではなく、キャリアも将来も手に入らないのだ。最初から「私は通訳者になりたいのであって、翻訳はやりたくないんです。」という人もいるが、まったく通訳とは関係ない場面で名刺交換をしたご縁で、何年か経って舞台通訳の仕事を頂いたこともある。翻訳は全国ネット、なにも東京に限って営業する必要はない、と名古屋のエージェントに翻訳者として登録したら、愛知万博の通訳の依頼が来たこともある。
つまり、少し論旨が飛ぶかもしれないが、「あの時あれをしておけば良かった。」という後悔の法則を転換して、「あの時あれをしておいたから、今のこれがある。」と考える方が、人生、断然お得なのである。それには、何が観音さまのお告げであるところの“初めて手に触れたもの”なのかを判断する感性も必要だ。そして、「ふん、わら一本か…」と捨ててしまったり、最初から「これをもっとビッグなものと交換してやろう」というギラギラした欲を持っていては、運にも見捨てられてしまう。ギラギラした情熱は内面や能力を磨くことに傾ければよい。

この話、「男は生涯、わら一本粗末にすることはありませんでした。村人からは“わらしべ長者”と呼ばれました。めでたし、めでたし。」で終わる。「わら一本をも粗末にしない心」を大切に、これからも一歩ずつ歩んで行きたい。

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記事を書いた人

まめの木

ドイツ留学後、紆余曲折を経て通翻訳者に。仕事はエンターテインメント・芸術分野から自動車・機械系までと幅広い。色々なものになりたかった、という幼少期の夢を通訳者という仕事を通じてひそかに果たしている。取柄は元気と笑顔。

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