私のコレクション
小さい頃、透明で、カラフルで、丸みがあるものが好きだった。おはじきやビー玉、拾った石から始まり、台所から丸いガラス製の箸置きをちょっと拝借したり、お小遣いが貰えるようになるとビーズやジェリービーンズを買い込み、かわいい瓶に詰めて飾っていたこともある。今でも天然石や半貴石、ガラス製品に弱い。
大人になってから、カラフルで透明感のあるものは、何も「モノ」に限られたことではないのに気づいた。音や風、言葉にも、丸みのあるコロコロとした感触のものが存在する。こういったものは、手にとって楽しむタイプのコレクションにはならないが、録音物や本で発見すると勝手に自分のコレクションとして認定している。
風景は写真に撮れるし、風や空気が気に入った時にはビニール袋に詰めて持って帰ったこともあるが、何もコレクションだからといって手元になければならないわけではなく、あくまでも心の中で「認定」し、たまに思い出して楽しめは、立派なコレクションになるのである。
音で言えば、バイオリンはストラディヴァリウス。録音技術のせいもあるが、60〜70年代に録音されたレコードから聞こえてくる温かみのある丸い音色は、まさにコレクションに値する。フランスのオーケストラの管楽器の音も素晴らしい。少し余談になるが、小さい頃から生粋のクラシック派で育った私は、「ロック」と分類される音楽はいわゆる不良の音楽とみなしていた。ところが、偏見を頭から排除して素直に聞いてみると、これが案外、すべてではないにしても曲の構成力、演奏技術、音色のどれをとってもクラシックの音楽家と比べて遜色がない。髪を染め、どぎついファッションで稲妻型のエレキギター片手にロックンロールに命を捧げているお兄ちゃんが、こんな知的な歌詞を書くのか、と驚くことさえある(ごめんなさい、ものすごい偏見です…)。エレキギターの音も、以前は何でも同じ騒音にしか聞こえなかったが、注意深く聞き分けてみると、ギブソンのレスポールというギターの透明感のあるまろやかな響きは絶品である。演奏者にもよるが、このレスポールの音も我がコレクションに加えることにした。
言葉では擬音語、擬態語の類でコレクション入りするものが多い。ドイツにいた頃は「まったり」がコレクションに入っていたのだが、帰国してからいわゆる「若者言葉」として「まったり」にはまったく相応しくないシチュエーションで安易に使われている現場に遭遇し、とてもがっかりしてしまった。
『昨日、うちでまったりしてたら電話がかかってきてさぁ〜』
『お風呂入ったら、ちょっとまったりしちゃって…』
とんでもない使い方である。思わず、「すみません、その言葉、私の大切なコレクションなので、そのような使い方はやめてください。」とお願いしたくなったほどである。どこで誰がこのような使い方を始めたかは知らないが、彼らの中ではその状況そのものが「まったり」なのであろう、私たちの普段使っている言葉だって、平安時代の人が聞いたら卒倒するかもしれないし、言葉は生き物、時代と共に変化するものである、と、その場は穏便にやり過ごし、家に帰って「まったり」とした味わいの美味しいお茶を頂きながら、「まったり」に一人乾杯したのであった。