ウィーン人の本音と建前(その1)
今週の火曜日、ウィーン旅行から帰ってきた。このブログを読んでくださっている皆さんに楽しい旅のみやげ話を…と思うところだが、ウィーンの見所についてはすでに沢山の書物やガイドブックで紹介されているし、芸術・文化に関しては私がわざわざ報告しなくても言わずもがな、である。
ハプスブルク家の栄光よりも、文化の都の華やかさよりもなによりも、今回初めてウィーンに行って印象深かったのは、ドイツ人とウィーン人の気質の違いである。ここではあえて“オーストリア人”ではなく“ウィーン人”と言いたい。学生時代には何度もザルツブルクに行ったことがあるし、リンツやグラーツ出身の友達もいたが、ウィーン以外のオーストリア人とは明らかに言葉や顔の表情から伝わってくる本質が違うのだ。つまり、「ドイツ語を話しながら本音と建前を日本人並に駆使している」ことに今さらながら驚いたわけである。ドイツ人とほぼ同じものを食べて、同じ言葉をしゃべっているはずなのに、どうにも勝手が違う。滞在当初はお恥ずかしながら、「私のドイツ語はちゃんと通じているのかしら?」と不安さえ覚えたほどである。
まず、ドイツ人はあまりお世辞というものを言わない。私はドイツで社会人経験をしていないため、あくまでも学生レベルの視点からでしか語れないが、ドイツ語を操るということは理論対理論、知識対知識、哲学対哲学、思想対思想、魂対魂の言葉のしのぎ合いである、と思っていた。それほど高尚な場面でなくても、食料や日用品、洋服を買うのだって命がけである。例えば、一人所帯なので食べ物はあまり大量に買い込めない。だが、「そのハムを3枚ください。」などと注文しようものなら、あからさまに「それだけかよ!」という顔をされる。レジで「スカーフ売り場はどこですか?」と聞こうものなら「あなたがその売り場に行ってここに帰ってくると、閉店時間を3分過ぎるから教えない。」と言われ、セーターを試着すれば「このデザインと色はあなたに似合わないから買うべきではない。」と容赦なくコメントされる。当然、こちらも好戦的になり、ストレートな物言いが身についてしまう。もちろん、多くの親切なドイツ人にお世話になったし、裏表がない直球勝負が彼らの長所であり、可愛らしいところでもある。また、通訳になってからはドイツ人のビジネスマンと関わるようになり、彼らなりに気を使ったり、言葉を選んで丁寧な態度を取ることができるのを知ったが、基本的に言いたいことは必ず口に出して言う国民性なのである。
それが、ウィーン人は違うのだ。
(後半はまた来週お付き合いください!)