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ロックじゃダメ??

まめの木

通訳・翻訳者リレーブログ

今、この瞬間に聴きたくなる音楽は、その時々の心理状態を映し出しているから面白い。ブラックサバスやレインボーなどのヘビィ・メタルを聴きたくなるときの自分を観察してみると、決まって気持ちが荒れているし、理屈っぽくなっているときには自然とキング・クリムゾンや70年代イエスなどのプログレを聴いている。
最近はヘンデルの「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」に凝っている。基本的に翻訳中はBGMをかけない派だが、翻訳中のBGMとしても全然邪魔にならないし、一日中賭けていてもまったく飽きない。聞いていると俄然やる気が湧いてくるのだ。家の者からは、「何故こんなくだらない音楽が良いのか、バッハの方がいいじゃないか」とブーイングが出ているが、私に言わせれば、くだらないから良いのである。小難しい聴きごたえのある音楽だと「聴く」という行為に集中力を持っていかれてしまうので、BGMとして成立しない。もともと王侯貴族の舟遊びや祝賀祭典のために作られた曲だけあってとても華やかだし、宗教音楽のように敬虔な気持ちにさせられて深い自己反省を促されることがないのがちょうど良い。「王宮の花火」なんて、打楽器のビートは効いてるわ、管楽器は派手なソロを披露しているわで、まさにロックののりである。その要素を挙げてみると:
「ワーオ!」とうならせる超絶技巧があること。
複雑な転調がないこと。
明確なコード進行(C⇒F⇒G⇒Cのような)。
マイナーコードでたるむ場面が少ないこと。
打楽器のインパクトが強力なこと。
通奏低音のビートが効いていること。
シンコペーション等の後のりリズムを多用していること。

もともとクラシック音楽は宗教音楽を起源としており、教会で捧げられる祈りの音楽から形式が発生した。その頃は同じ音を繰り返したり、低音を効かせたり、太鼓を打ち鳴らしたりすることは神に対する冒涜とされていたそうである。その常識を、バロックになってヴィヴァルディやスカルラッティ、バッハ、ヘンデルが打ち破った。ただただ天上的な美しさや祈りの気持ちを表現するだけではなく、聴く人をいかに楽しませるか、飽きさせないかが競われたのだ。それまでルネッサンスの漂うような音楽しか聞いたことがなかった人々にとっては、ものすごく斬新で、ある意味下品に映ったことであろう。音楽に対する彼らの挑戦的な精神はその後も受け継がれ、100年ほどしてモーツァルトやベートーベンが登場するわけだが、彼らの音楽だって当時は時代の先端を行っていて、今で言えば「あんなお下品な音楽を聞いていると頭が悪くなるわよ。」と言われる種類の音楽だったはずなのである。マーラーやプロコフィエフに至っては、音楽に哲学や思想が盛り込まれ、まさにプログレのサウンドに通じるものを感じる。
純粋に聴く人を楽しませるための音楽、これまで聴いたこともないビートやサウンドを満載した楽しい音楽“だったはず”のものが現代では「お芸術」になってしまって敷居が高くなっている。なんとも悲しいことではないか。

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記事を書いた人

まめの木

ドイツ留学後、紆余曲折を経て通翻訳者に。仕事はエンターテインメント・芸術分野から自動車・機械系までと幅広い。色々なものになりたかった、という幼少期の夢を通訳者という仕事を通じてひそかに果たしている。取柄は元気と笑顔。

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