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『挫折』なんて存在しない!

まめの木

通訳・翻訳者リレーブログ

『挫折』という言葉ほど、嫌いな言葉はない。私は、これまでの人生の中で『挫折』なんて経験したことがないし、本当に『挫折』した人なんて見たこともない。こう書いてみると、とてつもなく傲慢で非情に聞こえるが、実際、世の中に挫折なんて、そうそうあることではないのである。失敗なら、山ほどある。かなわなかった夢もある。しかし、それだけでは決して『挫折』という言葉の定義を満たしていないのだ。これは辞書を引いてみても明白である。
“仕事や計画などが中途で失敗し、だめになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと。”
(小学館大辞泉)
“計画や事業などが中途でくじけ折れること。だめになること。”
(広辞苑)
これを読んでも分かるように、失敗した時点ではまだ『挫折』とは言えないのである。その後、 “だめになって”しまって、意欲や気力を失いさえしなければ。安易に使われる表現として、若い頃や学生時代の夢がかなわなかった人に向かって、「あの人は○○の道で挫折して、今では普通の仕事をしている。」というのがあるが、これに至ってはまったく失礼で恩知らずで間違った使用法である。“鬼千匹”としては、怒り心頭に発してしまう。第一、余計なお世話である。その事象を『挫折』ととらえるか否かは、自分自身で決めることだ。自分が『挫折』と思わなければ挫折ではないし、『普通の仕事』をして、なにが悪いんだろう。立派なことではないか。もう一つ、“鬼千匹”として暴言が許されるのなら、「あなたは、ご自分が新聞を読んで、ご飯を食べて、電車に乗って、ショッピングを楽しめるのは、多くの人があなたの言うところの『普通の仕事』をしてくれているお陰だということを忘れていませんか?」と言いたい。
これで思い出したのが、通訳学校の先生の言葉だ。格闘技好きで自宅にはサンドバッグまで備えつけ、モハメド・アリの名言を授業中に引用するのが好きな方だった。
「プロレスラーは自分でリングの床を叩いて『まいった!』と言わない限り、負けにはならないのです。通訳者もしかり。多少の修羅場に直面したからといって、早々と自分からギブアップしてはなりません。不死鳥のようによみがえるのです!」
通訳者だけではない。失敗やつらい経験をバネにして、また別の目標に向かって全力で進めばよいのだ。そこでまた失敗してあきらめたとしても、気力のある限り、何度でもリングに戻ればよい。疲れて頭が混乱したら、作戦タイムを取ればよい。ボクシングのレフェリーだって、10カウントは待ってくれる。エベレストの頂上に登るのにも、ルートは一つではないのだから。

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記事を書いた人

まめの木

ドイツ留学後、紆余曲折を経て通翻訳者に。仕事はエンターテインメント・芸術分野から自動車・機械系までと幅広い。色々なものになりたかった、という幼少期の夢を通訳者という仕事を通じてひそかに果たしている。取柄は元気と笑顔。

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