ネコの闘病生活
ペットの自慢話ほど、聞いていてアホらしいものはない。自分や家族の手柄話は、大っぴらにはできないものだが、ペットのことになると恥も外聞も忘れて自慢する。飼い主としては、目の中へ入れても痛くないほど溺愛している我が子に対して、“ペット”という言葉は決して使わない。あくまでも『うちの子』なのである。「うちの子はこんなに可愛い」、「うちの子はこんなこともできる」など、飼い主同士の『うちの子自慢』は留まるところを知らず、その場に写真でもあろうものなら、怪しい日本語で見境なく親バカ度を競い合い、相手が可愛いさを強調すれば、「うちの子だって!」と白熱する。ペットのことなら相手に自慢されてもまったく不愉快にならないのが、また不思議だ。ペットと暮らしていない人にとっては、誠に理解しがたい心理かもしれないが、こんなに邪心なく自慢しまくれる機会は、世の中にあまりないのではないだろうか?
そんな『うちの子』の一人(“一匹”ではなく)が腎不全になってしまい、現在、闘病生活を送っている。私が出張に出ている間に具合が悪くなり、仕事中、私に妙な心配をかけては…と、家の者はメールをよこさなかったが、一時は最悪の事態も覚悟したそうである。何も食べずに水ばかり飲み、みるみるうちに眼力がなくなっていって、暗がりでじっとしていたらしい。幸い、発病したばかりだったので、適切な処置を施せばまだまだ生きられるのだが、発見が遅かったり、放っておいた場合には尿毒症になって命を落とすこともあるという。ただ、一度腎不全になってしまうと皮下補液なる注射を定期的に打たないと、また症状が悪化してしまうらしく、2〜3日に一度、通院して注射してもらっている。針を刺す瞬間に顔をしかめ、大きく見張った目からは涙まで流して、先生は「痛くにゃいから大丈夫でちゅよ〜、ちょっと我慢ちまちょうね〜。」とまさに猫なで声で励ましてくれるが、言葉で意思表示できない生き物だけに、見ていて本当に痛々しい。以前我が家では、「うちの子は不治の病に侵されても、延命治療はしないことにしよう。」と話していたのだが、10年も一緒に暮らしてみると、生きられるものなら少しでも長く生きて欲しいと思う。
動物病院の先生は、『うちの子』は注射しても暴れないので治療しやすい、こんなに我慢強い子は珍しい、と言ってくださった。そうなんです、『うちの子』はちょっとおばかさんだけど、心根の優しい、いい子なんです。先生、これからもどうぞよろしくお願いします。
お気に入りの座布団の上で