それでも世界はまわる
色々と考えて、やはり今週はこれしか書けないと思う。
9月1日に義母が亡くなった。死因は肝臓ガンである。お盆過ぎの時点であと1〜2ヶ月と言われていたが、まさかこんなに早く、私たちに何の言葉も残さずに逝ってしまうとは思わなかった。5年前から東京の病院で入退院を繰り返していて、私はその時しかお世話できなかったけれど、血の繋がりがないことを忘れさせるくらい、私に対しても分け隔てなく接してくれた。仕事の都合で見舞いに行けなかった時、退院後に『なかなか来られなくてごめんね』と言うと、『そうゆうことは、気にしてないの』と優しく言ってくれた義母。
旅行に誘っても『もう少し良くなってから』と先延ばしにして、ついにどこにも連れて行ってあげられなかった。去年のウィーン旅行も、本当は義母と一緒に行く予定だったのである。
保育士として子供好き、動物好きだった義母を最後に見たのは、お盆で帰省した時に立ち寄った地元の病院である。その時は、仕事が入っていて一足先に帰らなければならなかったため、私が一人で立ち寄った。ちょうどお昼時でベッドに座って食事しており、デザートのマンゴーを『これ食べて』と私に差し出す。『病院の食事はちゃんと栄養価を考えて作ってあるんだから、自分で食べなきゃダメでしょ!』と言っても、『いいから、いいから』と皿を押す。自分が病気なのに、他人のことばかり考える義母だった。
『また来るからね!』と手を振って、笑ってうなずきながら手を振り返した義母。それが、生前の義母に会った最後になってしまった。
初七日が終わって帰宅した後、新聞を見ても、テレビをつけても、世の中が以前と変わらず動いていることに驚いた。私たちにとってこんなに大切な人が亡くなったんだから、世界中がもっと神妙にしてくれてもいいじゃないか、と理不尽な怒りを感じるのである。7月末に東京の病院を退院して、夫と義母と三人で椿山荘でランチした時には、あんなに美味しい、美味しいって食べていたのに、どうしてその人が遺影になって、うちにあるんだろう…。新幹線のホームにだって、ちゃんと歩いて行けたのに。
荼毘に付した後、まだ温かい遺骨を私に持たせてくれた事には、どんなメッセージがあるのだろう。まだ心の整理ができないが、これからゆっくり考えていきたい。
思い上がらず、お義母さんのような優しい気持ちと感謝の心を忘れずに、一日一日を大切に生きていこう、これが今、生かされている私たちが義母の死にあって思うことである。
(今回の話は極めて私的な内容で大変申し訳ございませんでした)