言葉に肉を与える
来月の初めに、また新しい分野の仕事に挑戦することになった。根が”怖がり”の私は、先週来、せっせと用語集めに精を出している。専門用語はもとより、この表現は使えるかも…、こっちの慣用句もメモしておこう、と、またまたデスマッチ気質が頭をもたげ、項目がすでに700を超えてしまった。五里霧中で走らなければならない時は千里の道も一歩から、ということで、蒐集作業そのものはまた楽しからずや(ここで敢えて”収集”と言わず)、なのだが、まだ読まなければならない本が2冊あることと、これから資料が届くことを考えると、私のことだから、あれもこれもと集めまくって、最終的には1500項目以上も集めることになるんだろうな…。どうせ、と言ったら聞こえが悪いが、重要表現として実際に現場で使うのは半分以下になるのは目に見えている。いや、もっと少ないかもしれない。ああ、我が悲しき性よ、如何にせん…。またフィジカルな満足度に走ってしまった。この時点ですでに反省である。
単語を集めて美しいリストに仕上げたって、何の意味もない。覚えてこその用語である。しかも、暗記に留まってはさらに意味がない。高校の英語のテストではないのである。言葉に血が通うまで、自分の体にすり込まなければならない。このすり込み作業をしておかないと、現場でロジックが追えなくなる。それに、なんといっても、暗記した単語をただ発音するだけでは説得力に欠けるのである。ご覧になった方もいらっしゃると思うが、先日、ほんの少しだがNHKで末田アナウンサーが後輩アナウンサーを指導しているシーンを紹介していた。例えば、『中心付近の最大風速〜m』という原稿を読むのに、どのくらい強い風なのか、その風の中で立っていられるのか、看板が飛んでくるほど強い風か等々、自分で実感して知った上で情報を伝えるのとただ読み上げるのとでは、視聴者の注意を喚起する力に違いが出てくると言っていたが、通訳もしかり、である。さて、用語集めと並行して、通訳学校で教わった方法で、そろそろすり込み作業も始めねば…。
私が習った”新しい単語に血を通わせ肉を与える秘法”、それは、テニスのスイングやショットの練習のように、体に振りを付けながら発音練習するとよい、というメソッドである。テニスに限らず、野球のバッティング練習でもよい。演劇好きの人なら、単語を発音しながら色々なポーズを付けてみてもよいそうだ。アルファベットの文字列とその単語のビジュアルなイメージに体の動きを付け加えて三刀流で覚えると、これがまた驚くほど体にしみ込む。これぞまさに通訳の錬金術だ。
えーっっ!!通訳の準備って、そんな恥ずかしいことまでしなければならないの!?
と思っておられる読者の皆さん。
はい、とても恥ずかしいですが、いつもやっています。夫には、『気持ち悪いから、自分の部屋のドアを閉めてやれぃ!!』と言われてます(笑)。でも、嫉妬に狂ったオセロのような形相で発音練習をしている姿は、誰にも見せられません…。