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芸術の秋、ということで…

まめの木

通訳・翻訳者リレーブログ

芸術性のある人が好きだ。といっても、“芸術的”とか“芸術家”という言葉はどちらかといえば好きではない。人はだれでも『表現したい』、『伝えたい』という本能を持っていると思うのだが、その『表現したい』、『伝えたい』という自分の中のエネルギーを正しく自覚している人のことを、我が家では“芸術性のある人”と呼んでいる。だから、職業がいわゆる“芸術家”でなくても、芸術性の高い人は存在する。逆に言えば、“芸術家”であっても芸術性を感じさせない人もいる。また、単なる“わたしを見て見て的”自己主張を間違って芸術性ととらえる風潮もなきにしもあらずに感じる。じゃあ一体、芸術性ってなによ?!と聞かれても、個人々々の感性の領域の話になってくるので、なかなか言葉で表現するのは難しいが、もしかしたら“芸術性”という言葉を使うからいけないのかもしれない。“芸術”の二文字を含んでいるだけあって、なにかこう、敷居の高そうな、お堅いイメージに聞こえるが、芸術性とは、醤油樽職人のおじさんから、お肉屋さんやクリーニング屋さんのおばちゃんから、駅員さんから、デパートの店員さんから、そしてもちろん、通訳者からも感じられる個性なのである。芸術性のある人々に共通しているのは、それぞれ、自分の職業にポリシーを持ち、その技に妥協なく、お客さん(=オーディエンス)を喜ばそうという気持ちがあることである。もっと簡単にいうと、こういった人々は必ずキラキラしているものだが、職業によってそのキラキラ感が異なることは言うまでもない。ここがすなわち、単なる“わたしわたし”的アピールをする人々と一線を画するところである。
通訳者の芸術性ってなんだろう。こちらの脳と心にメッセージがすっと届くような訳出をする通訳者、決して自分が前に出ているわけではないのにその場の雰囲気を和やかにできる通訳者、顔は忘れてしまっても声だけは後々まで頭に残る話し方をする通訳者、スピーカーの感情や言葉の抑揚をそのまま伝えられる通訳者、職人のように淡々と地味に訳しているのに説得力のある通訳者、存在感がないのに何故か存在感のある通訳者、などなど、思いつくままに書いてみたが、みなさん、通訳者も表現者、伝える作業のエキスパートとして、“芸術性”が必要だとは思いませんか?

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記事を書いた人

まめの木

ドイツ留学後、紆余曲折を経て通翻訳者に。仕事はエンターテインメント・芸術分野から自動車・機械系までと幅広い。色々なものになりたかった、という幼少期の夢を通訳者という仕事を通じてひそかに果たしている。取柄は元気と笑顔。

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