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あの国あの時代、過去と現在の物語

サイトデフォルト

通訳・翻訳者リレーブログ

遠く遠く遥か彼方。
海の向こうのまた向こう、この国のうーんと裏側。
人生の多感な時期を過ごした、
文化も習慣も言語も、風音も空色も、
何もかもが異なる地。
あれから、長い歳月が流れたいま、
あの空間を感じることは、普段めったになくなったが……。
それが、つい先日。
当時の同級生たちから、写真がメールされてきた。
恒例の同窓会に出席する為、彼の地に集結している彼らから。
“家この辺だったよね”…と、
当時住んでいた町の、「いま」が収められた数枚が。
その景色の、あまりの変わりように、
思わず息を呑んだ。
(+_+) (+_+) (+_+) (+_+)
いかめしい顔つきの軍用車両が、住宅街の車道を陣取り、
夜間外出禁止令~トッケ・デ・ケダ(なんて懐かしい響き!)発令されまくり。
砂ぼこり靄まみれの、あの空間は、
其処にはもう、存在しないのか?
それとも…
あの数年、すべては、
まぼろしだったのか?
華やかな装いに身を包む、わたしの知らない町。
眩しいばかりのその姿を前に、
過去と現在の感覚を、完全に失う。
あの時代、彼処にいたのは、
本当にいま此処にいる、このわたしなのか。
わたしは本当に、彼処にいたのだろうか。
不思議な、とても不思議な感覚。
気を取り直し。改めて目を凝らし、
写真の隅々まで、ゆっくりなぞってみる。
すると……
変わった中の変わらない部分が、
隙間隙間から少しずつ、顔を見せ始める。
眼下を走る海沿いの小道、遠くに望む土色の半島、
黄色いスクールバス待つ角っこ、花咲く公園へと続く歩道。
噴水前の映画館、教会近くのパンケーキ屋にチョコレート屋。
日本と繋がっている(そう、繋がっている!)、霧に覆われた広い太平洋。
どんよりした空気。すえた臭い。クラクションの不快音。
あちらこちらから聴こえる、哀愁漂う縦笛の旋律。
喧騒。喧騒。喧騒。
あの時代、あの空間の中へと、
いつしか、引き込まれてゆく。
やがて…
こころの中に宿る、薄ぼやけた過去と、
写真の中に映る、色彩溢れた現在が、
モノクロームの風景と、カラー写真とが、
ぴたり重なり合う。
過去がいまと交差し、過去がいまに溶け込む。
そうして確信する。
わたしは、確かに、其処にいたのだと。
~~~***~~~***~~~***~~~
ある時、予期せぬ瞬間。
いまの自分が、過去の自分に呼び止められ、
過去の日々へと引き寄せられる。
いまから遠い遠い昔、此処から遠く遠く離れた地へと。
昔の写真の中、存在する過去。其処に立つわたし。
こころの中に宿る、セピア色の光景。
其処に佇む、此処にいるこのわたし。
現在の道と繋がる、過去の道。
現在の自分と繋がる、過去の自分。
あの地とこの地。あの空間とこの空間。
そのどちらにも存在する、此処にいるこのわたし。
長い歳月の向こう側。其処に横たわる過去。
まるで昨日のような、何世紀も前のような。
遠いようで、近いようで。
近いような、遠いような。
過去とは、とても不思議な空間。
普段、見ることも、感じることもないけれど。
それでも自分の中、確実に流れ続ける時間。
過去を、自分の中で再生する。
すると。新たな発見をし、驚いたり得した気分になったり。
時には暴れ出し、疾走したり。
それを慌てて追いかけ、宥めたり。
明るく映ったり、暗く映ったり、
豊かな光に照らされていたり、
薄っすら影が差し込んでいたり、
重く感じたり、軽く感じたり、
その時々の自分の、こころ模様次第。
過去の中の何処か、その辺の道端に、
大切なもの、置き忘れてはいないだろうか。
身をかがめ、過去の忘れもの、探してみたり。
過去に、支配されていては、前へ進むことができない。
けれど。放置していると、徐々に綻び、薄れゆき、
やがては見失いかねない。
ないがしろにしていると、手の届かぬところへと、姿消してしまいそう。
あの波間の彼方、永遠の宙へと。
だから時々引き出し、陽に当ててみる。
すると過去は、色褪せることも、綻びることもなく、
あの頃のままに、自分の中、此処に、永遠に生き続ける。
時おり取り出し、ゆっくり触れてみる。
すると過去は、過去ではなくなり、いまの一部となる。
過去の中、行ったり来たりしてみる。
すると、いまの自分の、居場所や思いが見えてくる。
大切なものと、そうではないものと、
これから歩むべき道や、向かうべき先が。
過去を受け入れ、肯定する。
すると、こころ落ち着き、自分を信じることができる。
思えば思うほど、いまの自分の中、生き続ける。
いま歩む道を、足元を照らし、
此処にいる自分を、鼓舞してくれる。
けっして裏切ることなく、
未来へ向かう自分の、背中を押してくれる。
迷いを吹き飛ばしてくれる。
この手をそっと引いてくれる。
わたしの味方となってくれる。
いまのわたしと、寄り添ってくれる。
過去があるから、
いまを未来を、歩み続けることができる。
過去とは…
どんなに時間が流れても、忘れたくはないもの。
優しく接したい。
肯定したい。
誇りに思いたい。
~~~◇◇◇~~~◇◇◇~~~◇◇◇~~~
存在すら忘れられた、蓋されたままの小箱。
その奥深く静かに眠る、あの国でのひとコ

マたち。

ある瞬間、その蓋が開けられ、息吹きかけられ、
想い出が目を覚ます。
彼の国、あの日々との再会。
あの時代のわたしと。
異なる時の流れの中、異国の地で生きていた、
10代のわたしと…。
“元気でやってる?”
あの頃のわたしの、頭を撫でてみる。
 “大丈夫、大丈夫。心配ないよ”。そう、声かけてみる。
すると、温かな思いが、胸いっぱい広がる。
いまから幾歳も、幾歳も前の時代。
此処から遠く、遠く離れた国。
其処に、自分の足跡残る不思議。
この国の真裏。其処にこれほど、慣れ親しんだ空間があること。
その事実が、いまのわたしには、不思議でならない。
ついこの間のような、遠い遠い昔のような、
本当に存在した空間ではないような、
本当に起こった出来事ではないような。
あったような、なかったような…。
まぼろし…のような。
手を伸ばせば、いまにも届きそうな。
でも触れたと思った途端、見失ってしまいそうな。
地球を、広く感じたり、狭く感じたり。
過去を、長く感じたり、短く感じたり。
あの国を、遠くに感じたり、すぐ其処に感じたり。
過去と現在。現在と過去。
何処までが過去で、何処からが現在、なのだろう。
いまいる此処は、現在なのだろうか、過去なのだろうか。
それとも、未来なのだろうか。
同じこの地球上、この空の下、この海の、この時間の向こう。
この華やいだ地に、砂舞っていた頃。
この彩鮮やか場所が、薄ぼやけていた頃。
あの地にぽつり佇む娘。
あれは本当に、このわたしなのだろうか。
其処に暮らすわたしは、此処にいるわたしと、
本当に同じ、わたしなのだろうか。
わたしは本当に、あの時代、彼処に、いたのだろうか? 
思いめぐらす内に、感覚がどんどん麻痺してくる。
~~~☆☆☆~~~☆☆☆~~~☆☆☆~~~
鳥になり、あの時代に戻り、あの空間を漂いたい。
鳥になり、過去の風に身を任せ、ゆっくり眺めてみたい。
あの頃の彼の国を、あの頃の自分を…。
あの頃の自分は、あの地で、何を見ていたのだろう。
何を考えていたのだろう。
どんな未来を、想い描いていたのだろう。
此処でこうしている、いまの自分を、想像できただろうか。
あの頃の自分が、いまの自分を見たら、なんて思うだろう。
この国で暮らす自分を、いまのこの姿を見て、微笑んでくれるかな。
あの国あの時代、共に生きてきた人々のこと、
あの空気、あの臭い、あの風、あの喧騒を、
此処でこの国で、静かに、柔らかな心地で、想う。
想いながら、
胸いっぱいになる。
其処に、確かに、このわたしがいたのだ…と。
過去とは、もう戻ることのない瞬間。
触れることのない時間。辿ることのない日々。
息することの、けっしてない空間。
それでも、いまのわたしの中、確かに存在するもの。
長い長い旅の途中、これまで歩んできた年月。
いまこのわたしと、確かに繋がる時間と空間……あの光景。
かけがえのない日々。わたしの一部、わたしの財産。わたしの誇り。
このこころの中に。これからも、ずっと、変わることなく。
(#^.^#)

Mira!!!.JPG

Written by

記事を書いた人

サイトデフォルト

高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

END