思い出深きミュージシャン
これまで一緒に仕事してきた中で、印象に残っているアーティストは色々といますが、その中でも特に思い出深いのは、北欧出身のあるバンドです。
初めて彼等の音楽を耳にしたのは、まだ学生だった頃。ラジオから突然流れてきた、美しくも物悲しいその旋律に、“だ…誰だ、これっ?!”…と、ワサワサ鳥肌が立ち、翌日アルバムを買いに、レコード店へ駆け込んだのを、ついこの間の出来事のように覚えています。
それから数年の後、雑誌社で働くようになってからは、コンサートやプロモーション来日の度に、彼等を取材する機会に恵まれたのですが、奏でる音同様、とにかく素敵な人達でして…。おまけに同年代で、聴いて育った音楽も非常に似ていたこともあり、話も凄く合ったんですよね。ですから、日本サイドのパブリシスト(=専属宣伝係)を頼まれるという、夢のようなこともありました(雑誌社に勤めていた関係上、これは実現しませんでしたが)。
そうそう、勢い余って、巻頭大特集も何度かやりましたし、“来日記念特別号”なるものも出しました。後者は自分で企画書を提出し(編集長、部下の情熱に慄き、思わずゴーサイン出してしまう…の巻!)、権利関係をクリアした後、ライター・カメラマン・デザイナーなどの手配、ページ割りから校正までを担当し、全国津々浦々、ツアー中の彼等の同行取材までやってしまいました。で、これ、それなりに売れたんですよ。
バンドの人気も、来日するたびに上昇し、コンサートでの盛り上がりも、もう半端ではありませんでした。可愛い兄弟を見守る姉の心境で、ステージ袖で観ていて、涙が出そうになりましたもん。いまこうして振り返っても、当時の“熱気”を思い出しては、ワクワク・ゾクゾクするほど。
しかしその後、彼等も、世界的に大ブレークしたバンドの多くが、辿る道を行くことになります。つまり、音楽に対する意見の相違により、主要メンバーが脱退したり、マネージメントとのゴタゴタがあったり…。で、結局、休業活動に入るわけです。
最後に会った時、これはテープレコーダーを止めてからですが、バンド・リーダーが“誰を信じれば良いのか、分からなくなってしまった”“自分達に近づいてくる人達が、何が目当てなのか分からなくて、もう疲れた”といったことを呟いていて、“あぁ、これはもうダメかな”…と、物凄く哀しくなったのを覚えています。今だから言える話ですが。
バンド活動休止と同時期に、こちらも会社を辞めてフリーになり、色々なジャンルのアーティストと無我夢中で仕事する中で、彼等のことも考えなくなっていたのですが、数年前、“再結成が正式決定した”…との情報を耳にし、懐かしさと嬉しさに、久々こころ躍りましたね。
そうして、復活準備に関する諸々の仕事、また復活第一弾アルバムの歌詞対訳を担当する幸運にも恵まれました。またコンサート来日時には、通訳の仕事を頂き、久しぶりの再会に歓喜。“いやぁ、色々と大変なこともあったけど、今は自分のペースで楽しくやっているよ”な〜んて幸せそうに語る彼等を、目の前にした時の嬉しさと言ったら、もう…。
いまでもコンサートのたび、会場は満杯になりますし、若いファンも増えているし、声も前のように出ている…どころか、艶が出てきて魅力が増しているし、髪の毛は減っていないし、体型もまるで変わっていないから、凄い! 前回の来日時に、“なにか特別なことでもやっているの?”と訊ねたところ、“ジョギングしたり、ジムへ行ったりしている。それからジャンク・フードは滅多に食べない”…と言っていました。そう言えば、彼等の大好物はお寿司でしたっけ。うーん、納得。
とにもかくにも、ラジオから流れる彼等の曲を聴き、鳥肌立てていた10代のいちファンが、その後、彼等のお仕事のお手伝いをすることになるとは…。とても感慨深いものがあります。
デビューから20年以上経った今でも、こうして現役で活躍している彼等を見るのは、何に増して嬉しいことです。