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食に対する感覚…

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通訳・翻訳者リレーブログ

冷凍餃子による中毒問題が、毎日のように、ニュースで取り上げられています。
これを機に、“食”について、ちょっと考えてみませんか?

“料理の天才”のような母に育てられた私は、冷凍食品コーナーと言ったら、アイスクリーム! それ以外では、殆ど覗いたことがない為、この問題が明るみに出るまでは、餃子に“冷凍物”があることを、知りませんでした。はい、これ本当の話。
いや、それどころか……。

冷凍とんかつ、冷凍ブロッコリー、冷凍カリフラワー、冷凍焼き芋、冷凍ハンバーグ、冷凍牛丼、冷凍生姜焼き、冷凍パスタ、冷凍あれ、冷凍これ!! あらゆるものが、“冷凍売り”されているのに、びっくりオッタマゲーションです。

確かに便利ですよね。チンすればすぐに食べられるのですから。
でも、でも……。

餃子は、手作りに勝るものはありませぬぞ! それにあれは、家族で作りながらの会話が楽しかったりします。
野菜も、自宅で茹でると、とても美味しいですよ! 茹でるのに、技術は要しませんし、時間もかかりませんしね。

冷凍物を使わないと、毎朝15分“も”早く起きなければならない…ってか? 安全で美味しい食事の為なら、15分“くらい”、たいしたことないっしょ!
“あなたマンモス獲る人、あたしマンモス料理する人”…と、いったん決めたなら、命がけで、その役割を果たしましょう!

“あたしマンモス獲ることも、マンモス料理することもする人”…である場合は、時間の制約があり、大変ですよね。
でも、“冷凍食品ばかりで済まさなければならない程、日々忙しい”…と言うのも、ちょっと寂しいなぁ。まぁ、日本の場合は、色々と大変ではありますが…。
それでも例えば、週末に何種類か作り、それを小分けにして、冷凍にしておく…などと、あれこれ工夫することも可能ではないでしょうか。

それから、今回とにかく驚いたのが、日本の自給率の低さです。
何故、いつの間にか、こんなことになってしまったのでしょうか?
それまでは70%を超えていたのが、80年代のバブリーな時期を境に、下降の一方を辿ったのだと聞きます。
自国の物で、自国民の腹を満たすことの出来ない国。そんな国は、将来いったいどうなるのでしょう?

話は逸れてしまいますが、幼年期を過ごしたカナダでは、“食事の時間”、そうして“食事作法”は、非常に重んじられていました。
ですから本帰国し、日本の小学校の“学校給食”を、クラスのみんなで食べた、第一日目の“恐ろしい光景”は、今でも忘れることが出来ません。
歩きながら食べるのは、当たり前。食パンを丸め、口の中に幾つ詰め込めるか、みんなの前で披露したり、牛乳瓶の口をくわえ、牛乳を一気飲みする子が喝采を浴びたり…。
物凄くショックを受けました。“とんでもない国に迷い込んでしまった”…と思いました。

レストラン内での子供達の態度も、酷いですよね。
泣き叫んだり、席を立ち、走り回ったり…。特にファミリー・レストランでの態度は、半端ではない。“子供はそういうもの。あそこは、そういうことをしても許される所”…と断言した知り合いもいましたっけ。おいおい!
それから、フライトの食事時間中に、通路を駆け回って、周囲の顰蹙を買っているのも、たいがいアジアの子供。
どうしてなのでしょう。とにかく、日本を含めたアジア諸国では、概して子供に甘いと感じます。
大人でも、クチャクチャ音を立てたり、ナイフを口の中に入れたり、食事中でも煙草を吸ったりと、メチャクチャですもんね。

近年、カナダの友人宅へ遊びに行っても、子供達に対する“食事時の躾”は、それはそれは厳しいものです。
食事の直前までは、大騒ぎしていた彼等も、いったんテーブルに座ったら、ナイフ&フォークをちゃんと使いながら、終わるまで、着席したまま、静かに食べています。
その様子は、私が幼かった当時と何ら変わっていません。
食に対する意識、食事時のマナーが、次世代に、しっかりと受け継がれているのです。感動します。
そう、歴史の浅い、カナダのような国でさえ、“食すること”とは、楽しくも厳かな瞬間として、受け止められているのです。

“OO国はこうなのに、それに比べてXX国はこうだ”…という言い方は、あまり好きではありません、が、それにしても…。

余談ですが、最近、“大食いタレント”が持て囃されていますが、食べ物を、次から次へと口の中に入れていく、あの様、観ていて楽しいのでしょうか?
私にとっては、気持ちの良いものではありません。

一方、“ベジタリアンほど高尚な存在はない”…と鼻息荒く、肉食民を非難し、自分達の仲間を増やそうとする皆様、どうか放っておいてください(笑)。
食に、高尚も何もないでしょう。
それから、“知能が高いから”…とか、“自分達の国ではペットなのに”…という理屈により、ある特定の動物を捕獲したり、食したりするのを、非難する感情論。あれもいただけません。
それぞれの国の食文化には、敬意を払いたいものです。

日本語には、“いただきます”という、とても美しい言葉があります。
これは、食材を育てた方々や、料理してくれた方々に対する、感謝の言葉であると共に、“命をいただきます”…という意味が込められた表現だと感じます。
人は、他の“命”をいただきながら、生きているのです。
そう、“食する”とは、そういう行為なのです。
その事実を忘れてしまったら、今にとんでもないことになるのではないでしょうか。

“食”に対し、もっと敏感でありたいものです。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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