ロック黄金時代
何よりも好きだった“音楽”を、こうして仕事にしてしまうと、いちファンだったあの頃の“思い”を、忘れかけている自分に、ふと気づくことがあります。
もちろん音楽を聴き、ミュージシャンにインタビューし、原稿を書いて、プロモーション活動に参加することは、好きで好きでたまらない。生活そのもの。呼吸することや、食事をすることと同じ。取り上げられてしまったら、生きてはいけないと思うほど。
苛々・悶々としていることがあっても、仕事さえしていれば、すべて吹っ飛んでしまいます。
でも、“色々なビジネスの話”やら何やらを抱えつつ、日々〆切りに追われながら、あれやこれや、右から左へと、次から次へとこなしていく中で、何かとても大切なものを、見失っているのではないかと、ふと思う瞬間があります。
雑誌社時代は、1冊の雑誌を、数人の編集部員で手分けしながら埋めていく作業だった為、毎月毎月、一定数のページ、一定数のアーティストを担当していました。が、フリーになり、そういう枠もなくなり、音楽のカテゴリーも広がった結果、こなす仕事量も激増したのです。
ですから例えば、テレビCMや番組から流れる曲を耳にし、“これ、どこかで聴いたことあるな”と思いながら、しばらくしてから、自分が対訳を手掛けた曲だったことを思い出したり、音楽番組内のインタビューを見ながら、“このセリフ、聞いたことあるな”と思いながら、それが自分で取材や字幕入れしたアーティストだったことに、あとで気づく…ということが、たびたびあります。
その都度、“あぁ、これじゃあダメだよなぁ〜”と思ってしまいます。
そんな時に出会ったのが、『わが青春のロック黄金狂時代』(角川SSC新書)。業界仲間に立て続けに薦められた、話題の“バックステージ・エピソード集”。
筆者の東郷かおる子さんは、洋楽専門誌『ミュージック・ライフ』の編集長を経たのち、現在はフリーの音楽評論家として活躍されている、私の大・大尊敬する方です。
実は、南米に住んでいた約3年間、同じ音楽・映画ファンの日本人3人と、音楽雑誌2誌&映画雑誌2誌を、分担して日本から送って貰い、大事に回し読みしていました。それぞれ500円前後だった物が、郵送料&手数料込で、2000円程した為(もちろん当時は中高生だったので、みんな両親に出して貰っていたのですが…)、透明ビニールの表紙を掛け、大事に大事に読んでいたものです。
因みに当時、“将来は映画字幕翻訳家になりたい!”と思っていた私は、映画雑誌を注文していました。
その時の音楽雑誌2誌の内の1誌が、この東郷さんの『ミュージック・ライフ』。そうしてもう一方が、のちに縁あって、私が携わるようになる雑誌なのです。
そうして、これは余談ですが、同映画雑誌X2は、現在でも発行されていますが、音楽雑誌は2誌とも休刊になっています。
と、話は逸れてしまいましたが、東郷さんが同誌編集長をやられていた頃は、まさにロック黄金期でした。
チープ・トリック、エアロスミス、ヴァン・ヘイレン、キッス、レインボー……!!
私が“いちファン”として、アルバムを先行予約したり、コンサート・チケット入手の為に、売場前に徹夜で並んだり、寝室にポスターを貼っては、ギャーギャー騒いでいた、“熱い時代”です。
ですから、“その記事、読んだ読んだ!”“その来日公演、行った行った!”と、ページを捲りながら、当時の思い、胸のときめき、ミーハーな行動を思い出し、ゾクゾク鳥肌が立ちました。
ほんと、久しぶりに興奮しました。
その後、雑誌社で仕事をするようになったのは、80年代半ば。つまり、ロック黄金期末期。はい、滑り込みセーフです。
ラット、モトリー・クルー、ガンズ・アンド・ローゼズ、LAガンズ……。
いわゆる“LAメタル”全盛期。そう、HR&HM最後の5-6年間を、編集部員として享受できた…という思いでいます。
現在では、人々の関心事も、音楽ジャンルも細分化し、ひとつの“ムーヴメント”が起こることはなくなりました。また“外タレ”が大バケし、アリーナ・ホールを埋めることも、“ぶっ飛びミュージシャン”や、文章に出来ないような“とんでもない取材裏話”もなくなりました。
すべての面で“スケール”が変わり、ミュージシャンは“常識人”になってしまったのです。
そうして、あの当時の音楽雑誌は、殆ど残っていませんし、どこでも頻繁に行なっていた、“来日追っかけ取材”などの“特別企画モノ”も、今ではやらなくなりました。
音楽とは、時代の流れと共に、変貌を遂げてゆくもの。
そうして聴き手の思いも、同様に変わりゆくもの。
過去を振り返り云々という行為や、“ノスタルジー”という言葉は、あまり好きではないのですが、でも今回のこの東郷さんの本のお陰で、忘れかけていた、とても大事な“何か”を、思い出した気がします。
ミュージシャンがキラキラ輝く、憧れの存在だった当時。
内側に居続けると、見えなくなる、感じられなくなる思い。
“ファンのような思い”は、“現場”では、必ずしも必要ではありません。
が、こうして“初心に帰る”というのも、色々な意味で、たまには良いものだと、今回思いました。