愛おしの空色
私は、空を眺めるのが無性に好きです。
旅に出て、素敵な風景と出会うたび、まず気になるのは、その地を包み込む空色のこと。
そうして立ち止まり、上空を見上げてみます。
私が育ったロッキー山脈の麓と、その周辺の大草原を覆う空は、とても高く、とても広く、そうして表情豊か。
辺りには、人工のものは何ひとつなく、地と空の境界線が分からないほど、自然に満ち溢れていて。その場を360度クルッと回っては、自分を取り囲む自然風景を愉しむのが、幼いその当時から、とても好きでした。
ヴァンクーバーのとある島には、空を眺める、お気に入りの場所があります。
そこの芝生の上に横になりながら、刻一刻と変わりゆく空色を眺めるのが、此の上なく好き。色々な表情を見せてくれるので、一日中眺めていても、まるで飽きない。
仕事机は、南側の大きな窓に面しており、その時々の光と影を眺めるのが、原稿書きの合間の、柔らかな瞬間になっています。
寝室の東側少し上の方にある、横長の窓は、ずっと開け放ったまま。陽が沈む頃も、白いレース・カーテン1枚を閉じるだけ。そこから臨む、移ろいゆく空色を、夜中や明け方に、ベッドに横になりながら観るのは、至福のとき。
先週は連日、機嫌の悪い天候続きで、日夜、飽きずに部屋から外の様子を眺めては、うっとりしていました。
雷がピカピカ光る時の空色は、最高級の夢舞台。墨絵の世界。どんなに優れた演出家でも、あれには敵わないでしょう。
そう、悪天候の時の空には、いつもこころ躍ります。
霧。靄。雨雲。今にも雨が降りそうな瞬間。嵐の前の静けさ。薄ら蒼色、或いは灰色のビロードに覆われ始め、見る見る内に不機嫌色に変わる、喜怒哀楽の激しい空。まっすぐで、分かり易くて、理屈っぽくなくて、媚びていなくて。それはそれは素敵です。
そうして、その後に現われる、雨上がりの澄み渡った空。これまた、とても美しい。
もうひとつ、無性に好きなのは、朝夕の静寂なひと時。その僅かな瞬間に見せる、青…蒼…藍…瑠璃色による、夢の大合唱。儚き色世界。
そこから、影になっている木々の間から、黄金色の満月が、顔を見せてくれたなら。それもまた、最高に贅沢な絵風景。
美しい空色と出会うと、言葉というものの無力さを痛感します。
自然の織り成すこの夢作品の美しさを、なんとか伝えようとしても、それを的確に表現するような言葉が、いつも見つからないから。文章を書く仕事をする身として、その都度もどかしくてならない。
大自然の美しさに比べると、我々人間の生み出す言葉の、何て空虚で薄っぺらなこと…。
移ろいゆく時間、移ろいゆく季節。朝焼けと夕焼け。光と影。太陽と月。
尊くて、荘厳で、激しくて、穏やかで、温かくて、束の間で、繊細で、儚くて。
そうして、とても愛おしくて……。
↑ 小船から観た真夏の知床半島。
この直後、生暖かい風と共に大粒の雨が降り出す。そうして海の上に虹が掛かり、その神秘的な光景にこころ躍る。
↑ 夏の終わりを告げる物寂しげな安曇野の夜。
天使が舞い降りて来そうな上空を眺めながら、ここ数日間の楽しかった旅に想いを馳せる。
↑ 立山連峰を見守る穏やかな雲々。
この夜は、連峰に建つ“星々の降るホテル”に泊まる。
↑ 北アルプスを包み込む蒼い瞬間と満月。
ほんの数分の儚き瞬間。うっとり眺めている内にその姿を消し、シャッターを切るのを忘れていることが多い。
↑ 黒姫山で出会った不機嫌な雲。
この直後から降り出した大雨の凄かったこと!
↑ 安比高原の元気な真っ青空。
草原では馬、羊、ヤギ、ウサギなどがのんびり散歩していた。
↑ 自宅の庭から見上げた空色。
何日にも渡り続いた雨嵐雷の間の、束の間の静けさ。