いとおしの原風景
忘れられない風景があります。
特に寒さ増すこの頃になると、想い出すことが多くなります。
そうして想うたび、その風景、その天候、その匂い、その地が、無性に恋しくなります。
その想いは、年を重ねるごとに薄らぐどころか、強くなっているのですから、不思議なものです。
色とりどりの電球に彩られた、聖なる夜。白銀の世界を照らす、家々の灯り。
言葉を失うほどの美しさです。
“目覚めたら、辺り一面真っ白だった”。これ以上に素敵な朝の迎え方は、他にはないもの。
そう、幼年期を過ごした、私の第二の故郷カナダ・アルバータ州は、ロッキー山脈の麓の町“カルガリー”に広がる冬景色です。
スケート靴を履き、白い息を吐き、ツルツルに凍結した道を、軽やかに滑りながらの登下校。
小学校のそばにある丘では、愉しい雪ぞり遊び。
校庭に隣接するリンクでは、同級生と手を繋ぎながらのスケート。
顔が割れるような厳寒。
住んでいた当時、冬場はマイナス20℃前後にまでなったもの。
近年は地球温暖化の為か、そこまで下がることはないとか。それでも寒く白い光景は、あの頃とかわらず。特に今年の寒さは、半端ではないとのこと。
寒ければ寒いほど、眼下に広がる景色は、澄み渡り美しいもの。
そうしてこちらの身も引き締まり、こころ清まります。
原体験とは、本当におかしなもの。この季節が巡ってくると、寒い地へ寒い地へと行きたくなり、身体が疼くのですから。
天気予報で、“明日の網走は、マイナス10℃まで下がるでしょう”…と発表されたが最後、居ても立ってもいられず、“そうだ、網走へ行こう!”…と真剣に考えてしまうほど。
そうして結局、北海道や東北や北陸地方へと、思わず向かってしまいます。
あの寒さ、あの冬色を、この身体がしっかりと、記憶しているのです。
常に恋しく想っているわけでは、けっしてないものの、折々に顔を出しては、温かな気持ちにさせてくれる、愛おしい存在。
そうして想うたび、その情景、その町が、人格形成やその後の人生、その後の仕事や人間関係に於いて、どれほど大きな影響を及ぼし、どれほど大きな“意味”となっているか。気づかされては、深い感動を覚えます。
特別な風景。特別な地。
世界中どこを旅し、どんな素敵な光景を目にしようと、自分の中では、あそこほどに美しい処は、他にありません。
あれから長い歳月が流れているにも拘らず、このこころの奥深くに、ずっと在り続けています。
“昨夜からの大雪で、今日は辺り一面真っ白だよ。いまから飛んでおいで!”
先日カルガリーの幼友達から、こんなメールが舞い込んできました。
“いまは行けないけれど、でもその代わり、私の大好きなカルガリーのsnowflakeを送って。あの美しい雪結晶を眺めたいから”。
こちらはそう返事しておきましたが。
そう言えば、来年の冬季オリンピックの開催地は、ブリティッシュ・コロンビア州ヴァンクーバー。カルガリーとめぐり逢う直前に、生まれて初めて足を踏み入れた“外国”です。久しぶりにあそこを訪れ、そうしてその後にカルガリーに入り、懐かしいあの町と、ゆっくり対話して来ようかな…。