イメージと素顔とのギャップ
逮捕劇から2週間以上経つにも拘らず、世間は相変わらず連日、某アイドル・タレントの“堕ちた”話一色。
どうしてこんなにも、盛り上がれるのでしょう。それもその多くは、肝心の犯した罪に関することそのものよりも、その“普通ではない”過去や私生活のことばかり。
いちアイドルの“素顔”に、世間がこれほどまでに、関心をもっているとは、正直思いもしませんでした。
そんなに彼女の素顔や私生活が、気になるのでしょうか?
不思議に思っていた頃に、友達の放ったひとこと…。
“イメージと素顔とのギャップが、あまりに大きいので、みんな興味津々、面白くてしょうがないんだよ”。
あぁ、なるほど。
し…しかしですよ……
『仮面の下に隠された真実!』
そんな刺激的(?)な表現を聞いたり目にしたりすると、ギョッとします。ちょっと恐ろしい響き。残酷でエゲつない感じ。
だって…
芸能界の人々やエンターテイナーと呼ばれる人々は、みんなに夢を売るのが仕事。ですからその“イメージ”というものを、とてもとても大切にします。それを懸命に“演じている”彼等がいるわけです。
何を“ウリ”にするのか、どこに焦点を合わせるのか。デビュー時、その“戦略”は綿密に練られ、ひとつの“商品”が作り上げられ、市場へと送り出されます。そうして人々に夢を与え、楽しませてくれるわけです。
ですからその“イメージ”は、素の彼等とは別ものだったり、隔たりがあることも、大いにあり得るのです。あって当然です。
“仮面”などと呼ばれるようなものを、被っているわけではないのです。
例えば特にこの国では、女性アイドル・タレントの場合、“幼くて可愛くて清純で守ってあげたいタイプ”が、昔からより好まれます。いまはそれほどではありませんが、それでも…。
ですから世間が求めている、そういうイメージを、彼女達は懸命に保ちながら、活動しているわけです。
それで思い出しましたが…
雑誌社に勤務していた時代、ある人気ミュージシャンの結婚が発表された日、朝から会社に電話が鳴りっ放し。“本当に結婚するのですかぁ〜〜??”…とファンの女の子達が、電話口でワンワン泣いてばかり。それも、いつもその人のインタビューを担当していた、この私ご指名で。
こちらは仕事にならず、結局その日1日、仕事道具持参で、近くの喫茶店に逃げ込みましたっけ。あとで聞いたところ、他の音楽雑誌社も、みんな同じような状況だったとのこと。
それから、これはアイドルではありませんが、ステージ上で血を吹きながら、暴れ回り攻撃的な言葉を発する、エイターテイナー色の強いアーティストがいます。
その人に関し、“オフでも暴れるのか?”…と聞かれること、度々あります。取材中に暴言を吐きながら、こちらに向かって血を吐くか…ですか? いいえ、そういうことは、一切ありません! その素顔は、至って常識人。非常に静かで穏やかな好人物です。
歌詞やエッセイのような文章だって、そう。
まずはテーマを決め(あるいは決められたテーマを念頭に入れ)、硬い文章にするか、柔らかい文章にするか。淡々と語るのか、感情的な自分になるか。そうしてその一点や感情に、色をつけ飾り立て、どんどん膨らませていきます。その方が、書き手側の思いがしっかりと伝わるもの。
また自分のイメージや色が、固定されている場合には、それに沿っての文章書きをする場合も、多々あります。ごくごくプライベートな部分は、文章や歌詞にしないようにしている人も、実に多い。
ですから、“これは実生活に基づいた作品なのか?”…という質問は、ある意味無意味。聞かれるたび、ウンザリしている人もいるほど。
閑話休題。
10代の頃には、大好きなアイドルと、付き合ったり結婚したりする夢を見るもの。それはとても健全なこと。夢を与えるアイドル側も、与えられた役割を自覚し、みんなの喜ぶ姿を見ては、幸せ感じています。与え与えられ、ファンもアイドルもみんな幸せ。とても素敵な関係が保たれています。
しかしファンもやがては、自分の世界を築き上げ、その過程で、アイドルはあくまでもアイドル、アーティストはあくまでもそのアートを愛でる対象となっていきます。アイドルの素顔や私生活には、興味を持たなくなります。大人になるにつれ、イメージはあくまでもイメージ、その実像とは切り離し、受け止められるようになっていくのです。
と、ずっとそう感じていたのですが…。
取り上げる側は、“知りたい人がいるから、報道しているまで”…などと言いますし、中には逆に、私生活を“ウリ”にしているような人がいるのも、確か。
しかし……
10代の子達の夢を、思いきりブチ壊すような、そんな残酷で汚い大人にはなりたくないのですが、でもこれを読んでくださっているのは、20代以上の方々だということ前提で、ひとつ言わせて貰えるならば…。
芸能人としての彼等と素顔の彼等、その作品と私生活とは異なるもの。異なる2つの世界。そう考えることは出来ないでしょうか。プライベートの彼等をそっとしておき、そうして純粋に、その作品や活動を愛でることは出来ないでしょうか。
そうすることが大人としての姿勢、それが成熟した社会、芸能や芸能人、芸術や芸術家に対する素敵な接し方だと、私などは思うのですが…。
……と言ってしまっては、身も蓋もない…ってか……?