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仕事人としての立場&自覚

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通訳・翻訳者リレーブログ

なんだか、ぐったりしています。

実はここ数日間、ポップ界のある大物アーティストのインタビューの仕事に、どっぷり没頭していました。
色々な意味で、あまりに深く濃く重いその内容に、終わった途端、心身ともにどっと疲れが出てしまい、いまちょっと放心状態。
しばらくは何もしたくない心境です。

具体的なアーティスト名も内容も、いまこの場では言えないのですが、でもひとつだけ、強く印象に残っているくだりと、そうして通訳翻訳者としての私の想いとを、今週は綴ってみようと思います。

まずは、その言葉ですが……

“その時はどんなに「完璧」だと思った作品でも、ちょっと時間が経つと、直したいところ、気になる箇所ばかりで、その度に手を加えるのだけれど、でも発売になってからも、「ああ、あそこをああすれば良かった」と後悔し、チャートを登り、セールス面で成功した段階に至っても、「ああ、ここをこうすれば良かった」などと、もう際限がない。でもこの「完璧」を望む気持ちは、とても良いこと。これがなくなったら、いま居る位置に留まり、それ以上先へは進めなくなってしまうから。そこで成長が止まってしまうのは、もっとも怖いことだから…”。
≪少々言葉を変えつつ掲載しております。ご了承ください≫

これは、成功を収めている著名なアーティストや、キャリアの長い人であればあるほど、よく口にする言葉です。
そうして、そういう思いが強ければ強いほど、実際そのアーティストは、充実した音楽人生を歩んでいるような気がします。

アーティストやクリエイターとは、ゼロからひとつのものを、生みそうして育んでいく人たちです。そのアートとは、彼等の“想いの結晶”です。
その想いの結晶は、第三者には計り知れないほどの、長い道のりや苦しみ(そうして恐らくは、それと同等の喜び)の後に、この世に誕生するものです。
そうして生み落とされたものでも、冒頭の言葉のように、時間の経過と共に、“ああすれば良かった、こうすれば良かった”と、永遠に思い続けるものだったりするわけです。

それはもう、とてつもなく重く、凄まじい話です。
そんな神業を成し遂げてしまう、“神にもっとも近いような存在”の彼等を、理屈抜きに、こころから尊敬しています。

その彼等とその作品を、微力ながらもサポートするのが、私に与えられた仕事です。
その一環として行なうのが、例えば、彼等の存在を世に紹介する為の、インタビューや原稿書き等による、プロモーション活動であり、その想いの結晶を、ひとりでも多くの人に愛でて貰う為に、元の言語を別の言語に置き換える、歌詞対訳作業なわけです。

非常に責任重大です。
死ぬ気で向かい合わなければなりません。生半可な姿勢で挑んでは、この彼等に失礼です。
それこそ、“完璧”を目指し、取り組まなければなりません。

しかし、それでもやはり、後悔の連続です。これまでに100%満足したことなど、皆無です。完璧など、そうそう得られるものではありません。
“あそこでは、あの単語を使えば良かった”“あの時、ああいう質問を入れれば良かった”…などなど。もうキリがありません。
ですから、手元に届く見本誌やサンプル盤の封を切るのを、躊躇してしまう場合もあります。開いた途端、反省点を見つけては、落ち込むことも多々あります。

しかし、この“後悔”や“反省”は、彼等アーティストのそれとは、意味が異なります。つまり、誤解を恐れずに言うならば、そういうことは、彼等以上にあってはならないこと。彼等のそれより、罪深いもの。重さがまるで違います。
“後悔”やら“反省”やらという言葉は、立場上、そう安易に使ってはならないと思っています。

と言うのも、
通翻訳者である私は、彼等アーティストの生み出した、その大切な作品を、一時的に“お預かり”しながら、その活動のお手伝いをしている身。その世界に、ちょっとだけお邪魔しているだけの人間なのです。
ですから、お預かりしているもの、世界にひとつしかないそれを、決して汚してはならないのです。私の匂いや痕跡や、染みひとつ残さずに、縦のものは縦のまま、すべて元の形のままに、やるべきことをやったら、そこから速やかに、おいとましなければなりません。
それだけその対象に、気を配り神経を使い、死ぬ気で向かい合わなければなりません。

その貴いアートの世界に、ちょっとだけお邪魔させて貰っていること、だからこそ、そこを汚してはならないこと……。
これだけは、どんなことがあっても、絶対に忘れてはならないと思っています。

自分は主役ではありませんし、やっているのはクリエイティヴなことでもありません。その主役やクリエイティヴなものを、黒子として、すこしばかり支えているだけの存在なのです。
であるからこその責任の重さを、常々自覚していたいもの。

そう、“お邪魔している身”として、
“後悔”や“反省”という言葉を、アーティスト側が使うのと同じ感覚や、同じ頻度で、使いたくはないですし、使うべきではないと思っています。
ですから、と同時に、“完璧”なるものを、より強く意識し、追い求めなければなりません。

……と、常々自分に言い聞かせながら、仕事をしている私です。(*^_^*)

とにかく今回のインタビューは、色々な意味で、非常に重いものでした。
しばらく滞在していたその世界から生還し、諸々の思いからも解放されたいま、すべてを無事終えられた安堵感と満足感と、別れからくる一抹の寂しさや哀しさと、それから“この数日間は、もしや幻だったのでは?”…という想いとが錯綜し、いまは何とも言えない感覚に陥っています。

最後に、
今回お世話になったKさん、私を推薦してくださったMさん、そうしてアーティストその人に、こころから感謝いたします。このような貴重な経験をさせて貰い、私も少しばかり成長できたような気がしています。
本当に本当にありがとうございます!

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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