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いつの時代にも音楽と共に〜♪

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通訳・翻訳者リレーブログ

音楽との付き合い方、その聴き方、捉え方、距離の置き方は、人それぞれ、そうして時代によっても異なり、とても興味深い。

カナダから帰って来てから、南米へ行くまでの数年間、小学校高学年のその頃は、大きなステレオでLPをかけて聴く時代でした。その後の南米での日々、つまり中学&高校生の頃も、日本製の小型ステレオで、引き続きLPを聴く毎日を送っていました。ただし一時帰国した折には、機内への持ち込みの関係上、もっぱらカセットテープに入ったアルバムをまとめ買いしていました。

帰国後、大学に入る頃には、ウォークマンなるものが登場し、“音楽を移動中や外出先で聴けるなんて!”と、それはそれは興奮したもの。大学にいる時にも、授業以外の時間には、ずっとイヤフォンを耳に突っ込んだまま。世間の言うところの“うるさいタイプの音楽”ばかり聴いていたこともあり、“そんなことずっとしていると、難聴になって、同時通訳者になれなくなるよ”…と教授が心配してくれたほど。

雑誌社に勤めるようになった直後より、このLP&カセットテープが、徐々にコンパクト・ディスク、そう、CDに取って代わるようになります。

そうそう、働き始めた当初、もっとも驚いたのは、会社で音楽が流れっ放しだということでした。
基本的には、朝一番にかかった音楽が、その日しばらくはかかり続ける…という法則(?)。つまり、先に出社した者勝ち。

それで思い出すのは、当時流行っていたある邦楽アーティストに、ハマりにハマってしまった、ある上司のこと。毎日毎日、10時から6時まで、“それ”をかけ続け、あまりのしつこさに、周囲の人がウンザリしていたところ、ある日の朝、会社に着くと、“僕のあのアルバム、誰か見なかったか?”とその上司、机の中やら周囲やらを探しながら、オロオロ・ソワソワ挙動不審状態。
“どうしたんだろう”…と思っていたら、“ほらっ、ねっ、あそこ、見て!”と隣の編集部員が、ニタニタ私の耳元で囁き、そうして窓の方を指さしたんです。
その方向にそっと視線をやると、1枚のCDが、窓から紐で吊るされ、哀しそうに、外の風にフワフワ揺らいでいたのでした。
(——〆)

そんな昔話はさて置き——

これがその編集部の日常風景。みんなそんな“音の洪水”の中で、日々原稿書きに勤しんでいたわけです。いや、正確に言えば、音楽業界、どの会社でも似たり寄ったり。あちらこちら、それぞれの“島”から、異なる音楽が流れていました。
ですから働き始めた当初、色々なレコード会社、出版社、プロモーターに挨拶に回った頃、“これで会社として大丈夫なのだろうか”“ここで仕事ができるのだろうか”と、その様子に驚いたものです(正確に言えば、驚いたのと同時に、ワクワクもしましたが…)。
まあ考えてみれば、音を聴くこと自体が、仕事なわけですから、何ら不思議でも何でもないことなのですが…。でも会社とは、静かでちょっとピリピリした空気の流れるところ…という、固定観念がしっかりありましたから…。

だからかどうか、私には分かりませんが、会社を辞めフリーになり、こうしてパソコン前で原稿書きをしている時にも、卓上のステレオからは、音楽が流れっ放し。或いは、iPODにBOSEのヘッドフォンを繋げて、音楽を聴きながら仕事をしています。

余談ですが、この“ながら作業”、何を聴くかは、その時々に取り組んでいるアーティストや、その音の種類によりけり。
そのアーティストの作品を聴いている時もあれば、まるで異なるものを聴いている時もあります。でも何でも良いから、とにかく何か適当に流れていれば良い…というわけでもないのです。
やる気が出る音楽、言葉がどんどん出てきて、原稿書きがスムーズに運ぶ為の音楽。その時々に合った組み合わせ、理屈ではない拘りが物凄くあります。
“音楽を聴きながらで、よく原稿書きに集中できるね”…とよく言われますが、でもこれが不思議と、静かな部屋だと逆に、集中できないんですよ。やはり、あの編集部での7年間の後遺症…ですかね…。

因みに、ストレスが溜まっている時には、ハードなものを聴いて発散する…と言う人が多いですが、元々はロック畑出身の私は、疲れていようと元気であろうと、その時々の気分に関係なく、やはりロックが一番好き。今でも一番しっくりくるので、聴く頻度は高い。
それから落ち込んだ時にバラードを聴き、その世界に浸り涙しながら、癒されていく…というような経験もないので、その“音楽で癒される”という、最近頻繁に使用される表現は、個人的には“????”であります。私にとっての音楽とは、そんな存在ではないのです。言葉では説明し難いのですが…。

話を元に戻しまして——

雑誌社勤務2-3年後には、完全にCDオンリー、つまりアナログからデジタル時代へと突入します。

同時期に、コンパクトCDプレイヤーも登場し、引き続き音楽を外で聴くことが可能に。ただしこれ、CDを複数枚バッグの中に忍ばせ移動するのは、なかなか面倒なことでもありました。

そうそう、このCDのウリと言えば、まずは音のクリアさ。それはとても新鮮でしたが、でもアナログ特有の、あのザラザラ音やシャリシャリ感が、恋しくなる時もありました(…あります)。

それからもうひとつのウリが、文字通りコンパクトな点。しかし、サイズが小さくなったことで、LP時代には当たり前のようにやっていたこと、つまり、ジャケットのアート・ワークを楽しむことが、できなくなりました。それは昔、アルバム購入後、真っ先にやっていたことでもあった為に、ガッカリした人も多かったのではないでしょうか。
“ジャケットに凝る楽しみが減った”と、作り手であるアーティスト達も、よく言っていることでもあります。

このCDの時代がしばらく続いた後に、今度はデータ時代の到来です。好きな曲を好きな順に好きなだけダウンロードし、iPODなどで聴くことが主流になってきたわけです。

昨今の健康ブームにより、このiPODはこれまでの音楽ファン以外にも、受け入れられようになり、結果より多くの人々が、音楽を気軽に楽しめるようになりました。それはジムでトレーニングする時だったり、街中でランニングする時だったり。
ただしこれだけ音楽が好きな私でも、街中を歩いている時や、マウンテンバイクに跨っている時には、iPODは絶対に聴きません。危ないということもありますが、それ以前に、周囲の音に耳を澄ませながらの移動が、とにかく好きだから…。

話が行ったり来たりしますが——

のデータのダウンロード時代により、“アルバム・ジャケットを楽しめなくなった”…どころか、アルバム(CD)の売れ行き自体が、一気に下降線を辿っていきます。

“アルバム1枚がひとつの作品。曲順にはちゃんと意味がある。だから本当は、好きな曲だけを、好きな順にダウンロードするのではなく、1曲目から最後の曲まで、アルバムを通して聴いて欲しい。でもこういう時代なのだから、仕方ないよね。みんなの求めていることに、それなりに対応できるよう、こちらも工夫しなければならないのだろうし”…と嘆くアーティストが実に多い。

デジタル時代の到来と共に、聴き手の姿勢と送り手の本音との違い、その溝は広がっている気がしています。
“アルバムを作ること自体に、意味が見出せなくなっている”と嘆くアーティストも少なくありません。

だいたい、“音楽のデータ化”…だなんて、音楽というものを、軽視している気がしてなりません!

……などと嘆き始めたら、話が益々逸れていきそうなので、これはまた次の機会に書くとして——

こうして音楽を聴く方法は、その時代時代により変化しています。
でも個人的に変わらないことが、ひとつだけあります。それはどんな時にも、音楽を聴いていたということ。いつの時代にも、音楽は身近にありました。これ以上に好きになったもの、夢中になったことは、過去にはなかったと言っても良いほど。

ですから、“好きだったことを、そのまま仕事にできるなんて、とても幸運だね”と、言われることがよくありますが、でもこうして振り返ってみると、それはもう、ごくごく自然の流れ、とても納得のいくことだったりもするのです。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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