残暑お見舞い申し上げます
今年初めて上陸した台風が、先日、温帯低気圧となり、北の彼方の海へと、去っていきました。
お盆で帰省していた友達は皆、東京へと舞い戻り、静かだった仕事先にも、いつもの活気が戻ってきました。
東北の夏祭りも、地元の花火大会も、夏の音楽の祭典も、あれもこれも、無事に終わりました。
敗戦の日も、御巣鷹山のあの日も過ぎ、高校野球も、終盤戦を迎えています。
庭先で、競うように鳴いている蝉たちの、その声は、自分たちに残された時間を、知っているかのよう。とても切なく聞こえます。
まだまだ暑い日々が続きますが、それでも、ついこの間まで感じていた、あの肌に貼りつくような、重くジメジメした空気感が、いつの間にか、こころなしか薄らぎ、これまで夜どおし、ひとつどころに留まっていた熱空が、このところ夕方になると、風に吹かれ流されているのに気づき、“あれっ?”と思ったり…。
追いかけ回され、まとわりつかれ、うるさくてうるさくて。本当に何とかならないものか…と苛々していたのが、ある日突然、気がついたら、姿を消していて、周囲が不思議なほど、静まり返っている。
あれほどイヤだと思っていたのに、いざいなくなると、戸惑ってしまう。そんな感覚…というか。
ちょっとホッとしたような、でも、と同時に、同じくらいの量の寂しさ、感じ始めている…ような。
“涼”に、あれほど恋い焦がれ、待ち詫びていた…はずなのに…。
なのに、それがやっと訪れようとしている、いま、一抹の寂しさを覚えながら、少しばかり感傷的になっているとは…。
“ウザったい! あっちへ行って! ”
“えっ、なんで? 本当に行っちゃうの?”
ひとの心理なんて、そうとういい加減なものです。
先ほど買い物に出た時、ふと足元に目を向けたら、息絶え、ひっくり返っていた蝉の亡骸が、風に吹かれふわりふわり、何処かへと、運ばれてゆくところでした。
あっという間…ですね。
振り返り、思い返してみると。毎年毎年、感じることなのですが…。
時はゆっくり流れゆき、ひとつの季節が、日を追うごとに、ゆるりゆるり、しかし確実に、次の季節へと移りゆく。
自然の織りなすリレー、バトンタッチのとき。
息を深く吸い込み、来年の今頃まで、再会することのない、この一瞬、この“いま”を、身体いっぱい感受し、こころに刻む。
下駄をカランコロンさせながら、街中を闊歩できる日々も、今年あとどれほど、残されているのでしょう…。
それぞれの季節が運んできてくれる、美を恵みを、歳重ねるごとに、強く意識するようになっています。
と同時に、四季がはっきりしている、この国と、それすべてを、しなやかに慎みやかに愛でながら、寄り添い生活する、この国の人々を、無性に好きになっている自分が、いま此処にいて、そんな自分を、ひそかに楽しんでいることに、気づいたり。
すぐそこの角まで来ている、久方ぶりに出会う、あの季節。目の前の色彩を、ゆっくり塗り替えながら、こちらをワクワクさせてくれる、あの日々連れてくる、懐かしいあの季節を、いまかいまかと、待ち侘びています。
最近、夜、ぐっすり眠れるようになりました。
そろそろ棚から、ウォーキング・シューズ取り出そうかな。そうして思いきり早起きして、残りわずかとなったこの季節に、別れを惜しみつつ、少し先の駅までの道のり、ゆったり漫ろ歩きする、そんな日々、そろそろ始めようかな…。
そんなちょっとした新しいこと、次のことに、あれこれ思いめぐらせながら、こころ弾ませている、今日この頃です。