福島・会津若松へ
その人がどういう性格で、どういう考えの持ち主で、どういう生活を送っているか、そういうことには、まるで関心がない。
やるべきことをやる、実行力ある人であれば、それで十分。
言葉ひとつひとつの持つ力を、その重みを、立場上、考えたことはないのだろうか。それをしたたかに計算しながら、発言しなければ。
オフレコなんて、あるなんて、どうか思わないでほしい。
マイクの先にいる人々に、想いを馳せることのできない、想像力のなさ、鈍感さ。稚拙な言葉使い。それが、無性に哀しい。
南方へ移住したり、母国へ帰国する人がいる。
測定器を常に持ち歩き、行き先々の数値を、絶えず気にしている人がいる。
庭の芝や土を、必死で掘り起こす人がいる。
水道水を、一切口にしない人がいる。
料理をするのも、米を研ぐのも、すべてミネラル・ウォーターでやっている人がいる。
バスタブに、墨を浮かべて入る人がいる。
水道水では、シャワーは浴びないと言う人がいる。
雨の日は、外出を極力控えると言う人がいる。
味噌は解毒作用があると、意識的に摂取する人がいる。
北陸方面の産物は、一切購入しないと言う人がいる。
政府は事実を発表していないと、イライラしている人たちがいる。
その両親を見ながら、ピリピリしている子供達がいる。
これまでどおりの、変わらぬ日常生活を送っている人がいる。
それを非難する人がいる。
気にしている人していない人。買う人買わない人、それは個々の自由。互いの思い&生き方を、どうか尊重しますように。
福島の産物の売れ行きが、どうも芳しくない。観光地には閑古鳥が鳴いているという。そんな観光地をめぐり、産地のものを購入しようと、福島・会津若松方面へ、先日行って参りました——。
朝5時起床、6時出発。
東北道を一気に北上。
まずは、赤瓦が再建されたばかりの、若松城。
1384年に建城され、1874年に廃城された後も、此の地を静かに見守ってきた、此の鶴ヶ城。凛としたその佇まいに、美しい城壁と庭園。
城内に掲げられた、白虎隊士の肖像画に見入り、その年齢を確かめては、溜息を吐く。
天守閣まで登り、そこから飯盛山を眺める。その距離、僅か5キロ。感慨に浸る。
近くの土産屋に入り、会津の民芸品を、ゆっくり眺めて歩く。“観光客が、あれ以来、戻って来ない”。笑顔で働く従業員が、ふと漏らす。
次に訪れた五色沼。
磐梯山の噴火によって生成された、大小さまざまな湖沼群。変わらず、目の覚めるようなコバルトブルー。その時間帯、季節により、微妙に異なる色彩を放つ、とても神秘的な地。
此処を訪れる観光バスも、あれ以来、一日平均一台ほど。周囲の土産屋や宿の多くが、休業や廃業に追い込まれているとのこと。
同じ日本に住む日本人として、心が痛む。
昼食。自然の食材をふんだんに使用した、その郷土料理に舌鼓。食堂は、その日の状況により、開けたり閉めたりしていると言う。店員達の想いが、ひしひしと伝わり、やるせなくなる。
磐梯山ゴールドライン。五色沼や雄国沼などが点在する磐梯高原と、会津を繋ぐ道路。周辺を覆う花々や草木が、季節により一変する、自然の倉庫。絶景のドライヴ・コース。
最後に直売所へお立ち寄り。トマト、きゅうり、ズッキーニ、桃、地元駄菓子などなど、箱ごと購入。
その後、地元牛乳たっぷりアイスクリームを食べ、リンゴ・ジュースを飲み、帰路に就く。
20数年ぶりの会津若松は、とても懐かしく、変わらず、とても温かく迎えて入れてくれました。変わらず、魅力に溢れた地でありました。
福島——。
また近々、引き続き、足を運びたいと思う。